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芥川龍之介の「枯野抄」の授業で先生が、

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ID非公開さん

2019/10/511:06:37

芥川龍之介の「枯野抄」の授業で先生が、

「芥川は頭がいいから使っている言葉が難しく読んでいる時にいつも試されてる気がする」
と言っていたのですが、現代文が読める人はこういう解釈もできるのでしょうか?
自分はただ、人間なんて所詮は薄情で自分のことしか考えれないんだなとしか思いませんでした…

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ベストアンサーに選ばれた回答

dri********さん

2019/10/821:49:25

実際にお葬式で、枯野抄に書かれているようなことを思っている人が何人かいたとして、思っていることをそのまま口に出す人はほとんどいません。たまにいますが、そういう人は変人だと思われます。

結局、そう思っている人がいても、表面上は全員が悲しんでいるように見えます。

何を考えているのか見抜くことはほとんどできませんし、そもそも、「悲しんでいるように見えるけど別のことを考えているんだろうな」ということを思わないことのほうが多いでしょう。

臨終のときや葬式で、内面ではこんなことが起きているということを考えること自体、普通はないはずです。枯野抄を読んだ後だからこそ、そういうことに気づくことができたと言えます。

目で見ている世界とは全く違ったことが、枯野抄の話の中では展開していきます。まずはこのギャップに気づけたことが、この話の面白さの一つではないかと思います。


個々に語られている、「人間なんて所詮は薄情で自分のことしか考えれない」ということに着目するのも面白い点です。

「人はしょせん孤独だ」とか、「死ぬときは結局一人だ」などと言われることがありますが、だからといって人間関係を完全に避けようとは思いませんよね。

だからこそ人とのつながりに必死にしがみつこうとしますし、新たな人間関係を増やそうとします。

今の人間関係に嫌気がさし、逃げるように新たな人間関係の方へ飛びつく場合もあります。

しかし、山奥に小屋を作って一人で暮らし、人間関係を完全に断ち切るような生活をしたいと思う人はあまりいませんし、いても実行に移す人はものすごく少数です。

それをするには、小屋を作り、植物や木を育て、家畜を飼い、道具を作り、獲物をしとめ、薪を集め、料理をするといったことが全てできなければならないため、完全に一人で生きるのは難しいのです。

他人を頼ったり、他人から頼られたりするには、やはり信頼が大事だということを考えさせられる内容でもあります。

これは、書いていることと全く逆のことを芥川龍之介は伝えたいのかもしれないという推察です。


枯野抄は、表と裏といったことを考えさせられる内容ではないかと思います。


先生の言う「芥川は頭がいいから使っている言葉が難しく読んでいる時にいつも試されてる気がする」という言葉と、質問者さんの「現代文が読める人はこういう解釈もできるのでしょうか?」という言葉のほうが、なにか深いことを言っているような気がします。

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