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仏陀って相当ヤベー事言ってますけど、なんであんな極端な思想がここまで世界に広...

ppp********さん

2019/10/1011:56:34

仏陀って相当ヤベー事言ってますけど、なんであんな極端な思想がここまで世界に広がったのでしょうか?

私は浅学の身なので偉そうなことは言えませんが、物質世界のすべてを否定しているように感じてアウトロー過ぎてついていけませんでした
また、仏陀が死んだとき弟子たちは泣いたらしいですけど、輪廻から外れることが目標だったのだからそこは喜ぶべきところではないですか?
詳しい方、専門家の方、私の解釈違いがあったら正してください

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san********さん

2019/10/1017:47:57

質問者さんが仏教のどういった部分を捉えて「ヤベー」または「極端」と評しているのかわかりませんが、ニュアンスとしては仏教の特徴を捉えられている印象を受けます。

ご存知の通り、仏教は、生存という現象を本質的に苦であると見なします。これを苦諦といい、その原因が執着や煩悩にあるということを集諦といいます。
執着や煩悩というのは、別の言葉で言えば愛や欲望ですから、ブッダが生きていた古代インドの時代から現在の高度資本主義社会にいたるまで、一貫して世俗の世界が依存して成立している根本的な価値(とされるもの)と言えるわけですが、仏教はこれを真っ向から否定するわけです。

なぜ、そのように否定しなければならないかと言えば、それが他ならぬ苦の因であるということがブッダによって明らかにされた「真理」(sacca)だからに他なりません。
薬物依存患者は薬物に依存することで快楽を生じさせていますが、彼が味わう業苦もまた薬物から生じています。
そのように楽と苦は同じ現象の裏表なのです。そうである以上、どちらか一方をいかしたまま、一方を絶つということはできないのは道理です。
苦を滅したいと思えば、楽をも滅する覚悟で薬(依存対象)を絶つしかないのです。この道理を滅諦といいます。
そして、その方法はブッダが指示した梵行を実践すること意外にないとするのが、導諦です。

これら、苦諦・集諦・滅諦・導諦、すなわち四つの聖なる真理たる四聖諦 cattāri ariya-saccāni こそ仏教の教えの要諦です。
ブッダによって明らかにされたこの四聖諦を真摯に観じるとき、人はそれが反論の余地のない厳然たる真理であることを自ずと知ります。
つまり、仏教が2500年の長きに渡って人々の拠り所になってきたという事実の中心には、この四聖諦という真理があるわけです。


なお、ブッダが死んだとき弟子達の一部が泣いたという伝承は、パーリ仏典の大パリニッバーナ経に伝えられています。
ただし、このとき泣いたのは有学とよばれる、まだ修行の途上にある者たちであり、涅槃を証して阿羅漢と呼ばれる解脱者になったものたちは動揺してなかったと伝えられています。

『世尊が般涅槃されたとき、解脱していない一部の比丘たちは、腕を突き出して泣き、足を切られたように、倒れ込んでのたうち回った。
「世尊が般涅槃されるのはあまりに早い。善逝はあまりに早く般涅槃された。世の眼はあまりに早く没された」と。
しかし、解脱している一部の比丘たちは正念正知を保ったままであった。
「諸行は無常なり。どうしてここに、永遠なるものがあるだろうか」と。』
(パーリ仏典 長部 大パリニッバーナ経)

質問した人からのコメント

2019/10/10 19:03:23

理解が浅かったようです。もっと学んでみます
ありがとうございました

ベストアンサー以外の回答

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man********さん

2019/10/1014:55:08

客観的に割に合うことは何ひとつとしてないと検証したのです。
生きるとは温泉のように際限なく泡が生じて弾けないように遅れさせようとツギハギしますが、泡ですからやはり潜在的には弾けるもので、必死に頑張って条件を作って弾けないようにしてそれを仕事と呼んでいるのです。ですから、生きるという仕事は際限がありませんし割に合わないのです。

mos********さん

2019/10/1014:24:56

大乗経なら維摩経が創られたくらいの時代から過激になり、ヒンドゥー・タントラリズムの影響を受けた密教経が創られた時代になると、本格的に過激になり、邪教の趣さえあると個人的には感じるんですが、パーリ仏典を読んでいる限りおいては、ブッダの教えはヤバいとは思わないですけどね。

この世は平和ではないじゃないですか。
自然災害は避けられないとしても、人が人を痛めつけることが横行する社会でもあり、競争に勝つために人を陥れたり、時には傷つけたり、最終的には殺してしまうこともあります。人間が人間を支配する社会ってものの裏には人間のどろどろした思いが渦まいています。

本来、人間の英知と機能さえあれば、人間同士で争わずに、鹿のように平和裏には暮らせるはずなんですよ。(仏典では鹿が平和の象徴のように描かれます)

しかし、人為であり、人の考えた概念なのに、それを”真理”と呼んで権威を持たせ、それに従わせるような宗教(バラモン教)が人々を抑圧していましたし、迷信で人心をコントロールしていましたし、仏教から見て外道たちの教えは、快楽主義だったり苦行主義だったりペシミスティックであったり、死を理想とする教えだったり、真理絶対主義で人間の実際面を考慮しない教えだったりしたわけです。

ブッダの教えは極めて人間主義的であり、誤解を恐れずに言えばヒューマニズムに根差したものだと思いますけどね。

ブッダの教えの肝要な部分として、争うことを戒めるということがあります。

ブッダは中道を説かれた沈黙の聖者なんですよ。

だから現代でも共感を覚える人が多いんじゃないですか?
生き馬の目を抜く都会での競争社会に身を置いていた人で、こういった生活に疑問を持ち、苦しさと良心の呵責を感じていた人で、田舎に移って農業なんかを始めて質素に暮らし始めた人なんかには、まさに心に沁みてくる教えだと思います。

パン祭りさん

2019/10/1012:39:03

ヤバイのは人間社会のほうで
お釈迦様は出家して人間社会をごめんこうむったので
世間一般の悩みから解脱して涅槃に到達したのです
https://youtu.be/-MV3schKeV0

さん

2019/10/1012:30:37

仏陀は死ぬ際、泣いている弟子に注意し、反応しない弟子を褒め称えていました。

相当ヤバイこといっていますが、それが絶対的な幸福であることもまた事実なのです。

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2019/10/1012:20:35

あれはシュメール時代の爬虫類系種族です
サイキック能力が高くマインドコントロールを得意とします

>>物質世界のすべてを否定しているように感じてアウトロー過ぎてついていけませんでした

量子力学の発展によりこの3次元世界がVRであると考える科学者が主流です

釈迦の悟りの解説の中には宇宙のメカニズムと生命の謎に触れる部分が多々あるようです
異星種ですからある程度のテクノロジーと科学理論は知っていたと思います

仏教における悟りの理論哲学は洗脳支配目的の緻密な罠です

あんなものいくら真似て実践しようが思考停止の低知能坊主が完成するだけです

ここで、悟りを得たなどという仏教徒がたまにおりますが

魔物の介在による偽の悟りを五感で体験し、陶酔して頭が麻痺してるバカが殆どです

ぶっ飛んだ話になりましたが、私の過去ログの問答をお読みになれば詳細を解説しております

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