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軽井沢が栄えて清里が衰退したのはなぜですか? 新幹線の有無、歴史の重みの有無...

ata********さん

2019/10/1223:38:42

軽井沢が栄えて清里が衰退したのはなぜですか?
新幹線の有無、歴史の重みの有無、、、

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yng********さん

2019/10/1307:05:53

軽井沢と清里を一緒にしないでください。

軽井沢は比較的早い時期に交通機関で東京と結ばれています。
明治時代前半に横川までの鉄道と碓氷峠を越える馬車鉄道を介して東京と繋がっていましたし、明治時代中期には横軽間にアプト式鉄道が開通して東京から列車で直通できるようになりました。
早期に交通機関が整備されて利便性が上がったところで、浅間山山麓の夏でも涼しい気候が知られるようになり、富裕層向けの避暑地として開発されてきたのです。

そして軽井沢は、明治時代以前も江戸と京を結ぶ中山道の宿場町として古くから栄え、また江戸から信濃や北陸を向かう北国街道との分岐点としても栄えてきた歴史があります。
徳川家が五街道と一つとして中山道を整備する以前から街道と宿場があり、長い歴史に裏打ちされた文化がある町です。
この文化的要素も、別荘を建てるような富裕層に好まれた理由の一つです。


対して、清里は長い間単なる荒れ地でしかなく。「清里」という地名も明治時代になって始めて付けられたものです。明治時代までは「浅川」と「樫山」という地名でした。

清里に鉄道が始めて通ったのは、昭和に入ってからです。
このときに東京の小河内ダム建設により移転を余儀なくされた人が入植してきて、この地を農地と高原リゾート地として開拓し始めたのです。
その結果が出たのは開拓を始めてから30年以上を経た1970年代です。女性向けファッション誌がここをオシャレなリゾート地として取り上げたことをきっかけに若者たちが訪れるようになり、バブル期にかけて若者向けのリゾート地として成長しました。
ですがこの時代の若者たちが年を経ると共に、清里を訪れる環境客の数は潮を引きように減っていったのです。


つまり、軽井沢と清里ではリゾート地としての歴史そのものが違うということです。

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sktm27さん

2019/10/1300:06:47

保養地・避暑地としての歴史が違います。新幹線はより軽井沢を行きやすい場所にしましたが、もっと昔から軽井沢は避暑地ブランドとして成り立ってました。車でも行きやすいですね。ゴルフも出来るし、国土計画がプリンスホテルを展開したのも大きな要因でした
。堤さんの西武王国でしたからね。

ppi********さん

2019/10/1223:58:47

はじめっから 清里や野辺山って保養地として絶対的に必要な「文化」のない、風呂屋の壁の書き割り絵のようなものだから、衰退して当然です。

軽井沢は、戦前から富豪の別荘地で 大企業が土地を持っていて 固定資産税収入が馬鹿にならない といいますから 発展する余地はいくらでもあるのです。

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