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日蓮系の宗派及び創価学会は他宗派及び他宗教を批判し攻撃するのは一体何故でしょ...

メバルのおばちゃんさん

2019/10/2211:47:25

日蓮系の宗派及び創価学会は他宗派及び他宗教を批判し攻撃するのは一体何故でしょうか。

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ベストアンサーに選ばれた回答

2019/10/2321:05:33

自分の信じるものが正しい
だから違うものは間違い
間違いは正さねば!
と言う極めてシンプルな思考から
他を攻撃するんですよ。

創価学会は勧誘する行いを
折伏と書いて
しゃくぶく と呼んでいるのを
知ってますか?
折って伏させる!んですよ
論破して降伏させる ですかね?
どんだけ上からだ( ̄◇ ̄;)

腹叩いて腰を折って
足払ってうつ伏せに倒して
後頭部踏み付けて
言う事聞かす
やる気満々(^◇^;)

恐ろしいので
関わりたく無いですね。

質問した人からのコメント

2019/10/27 07:10:53

お返事どうもありがとうございます。

ベストアンサー以外の回答

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仏教の本質を知らず、日蓮の言説を仏説と思い込んでいるからです。
釈迦は、迷いを捨てろ、世の中に不変のものは無いと言っています。

ですから、古代から現在まで通用する万能の教えなんてあり得ないんです。
だって世の中に不変は無いのですから。
鎌倉時代と現代では、政治も人の価値観もまるっきり違います。
当時は正しくても今は正しくない考え方もあります。
ですから、万能の教えは存在し得ません。

それに、釈迦は自分で理解する以外に悟るすべは無いとも教えています。
ですから誰かに一つ一つ教えられて、その通りに実践すれば理解無しに誰でも悟れるというものではありません。
大乗仏教は万人が悟れると教えていますが、果たしてそうか不信感があります。
何しろ大乗仏教は釈迦が死んだ後に後世の者たちが作ったものですしね。
寧ろ、盲信により麻薬中毒のような状態で幸福境地に到達したと言っているように聞こえます。
よく日蓮門下の信者が言う「仏界を涌現した!」という精神状態は、麻薬患者がハイになっている状態と共通すると思っています。


何故日蓮系が他宗を非難するか、ですが日蓮がそういう開祖だったからです。
法華経だけが釈迦の真説で、それ以外の経典は法華経を際立たせるための仮の教え、一時的な教えだと言っています。
法華経を妨げるような宗教は邪教とまで言い放っています。

そういう邪教の坊さんは、由比ヶ浜(鎌倉の海岸)で首を斬って殺してしまえとさえ言っています。
そんな開祖を信じる信者ですから、仏教の本質が理解できよう筈がありません。

何しろ、私が言っていることは彼らには「小乗仏教(上座部仏教の蔑称)にとりつかれた無知蒙昧」と映っていますから、事実を検証しようとさえしません。


そもそも、仏教は諸行無常です。
その大前提に立てば、どうやったって日蓮は仏でもなければ、絶対視するべき人物でも無い事は明白です。
盲信とは恐ろしいものです。

tos********さん

2019/10/2319:10:59

なぜ人は信仰し、宗教を求めるのかと問う時、ある人は神仏に守ってほしい、ある人は願いを叶えてほしいといい、またある人は先祖の冥福を祈りたいなどとさまざまな答えがかえってくると思います。

現在日本だけでも何十万という数の宗教がありますが、そのなかには、合格祈願のための神社をはじめ、水子供養専門の寺院とか、虫封じの神社があるかと思えば“とげ抜き地蔵”なるものまで、多種多様の宗教があります。

また信仰する対象も、同じキリスト教でも十字架を拝むものや聖書・マリア像・キリスト像を拝むものなどさまざまですし、仏教でも釈尊像を拝むものや、大日如来(だいにちにょらい)、阿弥陀如来(あみだにょらい)、薬師如来(やくしにょらい)などの仏や、観音、弥勒などの菩薩、あるいは大黒天、弁財天などの天界の神を祭るものなど、宗派によって多岐に分かれています。

もし宗教が単に気休めや精神修養のための手段ならば、それはちょうど音楽の好きな人が名曲を聞き、読書家が名作を読んで心をなごませることと同じでしょう。またそれならば、どの宗教によって、どのようなものを拝んでも、その人その人の好みによればよいということになるかもしれません。

でも少し考えてみて下さい。私たちが生活する上で、無関係なものや無縁のものからは生活に直接影響を受けませんが、身近なものや、信用したものは、その善悪、真偽、正邪によって大きな影響を受けることになり、それが人生の指針にかかわるものや、人命に関するものであればなおさら大きな力として影響を受けることになります。

たとえば、進学や就職、結婚などは誰でも慎重に選択するでしょうし、日常生活でも乗物や食べ物あるいは医薬品などは、より信用できるものを選ぶものです。その選択の基準として、自分の経験や、道理の適否・実験の結果 ・保証の有無・他者の評価などを考慮したうえで、できる限り、よい価値を生ずるもの、すなわち満足できるものを選ぶのではないでしょうか。

これと同じように、宗教もそれぞれ本尊が異なり、教義もさまざまですが、日蓮大聖人は、
「小乗経・大乗経並びに法華経は、文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず。所謂(いわゆる)病は重し薬はあさし。其の時上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生にさづくべし」(高橋入道殿御返事・新編八八七)
と仰せのように、三毒強盛の末法の衆生には、真実の教えである妙法蓮華経の大良薬を与えるべきことを教示されています。

釈尊も法華経において、
「唯一乗の法のみ有り、二無く亦三無し」(方便品第二・開結一一〇)
と説かれ、仏になる道はただ法華経以外にないことを明かされています。
いいかえると、この経文は一乗の法すなわち法華経以外の教えは、真実の教法ではないとの意味です。

このように、宗教には正邪の区別があることを知らなければなりません。

2019/10/2318:30:15

まともに相手にしないようにしましょう。

「俺がタバコ吸うのは自由、だけど他の者は吸うな!煙たいじゃないか」
という勝手な論理ですから、相手にするのは時間の無駄でっせ。

学会だけが正しい、ほかの宗派は間違っとる!
「信教の自由」は学会だけのものだと考えてるようですわ。

相手にしてはいけません!

fra********さん

2019/10/2309:41:09

それは誤解ですね。別に創価学会は、他宗教に喧嘩を吹っ掛けて攻撃するのを好んでいるわけではありません。この世で現実に幸福になれる宗教は、日蓮仏法を実践する創価学会だけです。それを訴えたいだけです。人の幸福を考えているからです。こういうと世間は「独善だ!」と必ず反発します。質問者さんもそのような感情でこの質問を立てているんですよね。

宗教といえば、「インチキ」「まやかし」、あるいは「気休めのため」。こういう貧相な宗教観が一般的です。宗教には正邪があります。そういうことも分かろうとせずに、十把一絡げにして「宗教とはこんなものだ」と結論付ける。それなのに、創価学会の、相手の幸福を思っての宗教批判を、なんだかんだと揶揄して“批判”する。こういう姿勢こそ「独善的」なのではないかと思います。

創価学会が他宗教を批判するのは、「その教えをどんなに真面目にやっても、幸福の力は出てきませんよ」と、人々に教えるためなのです。様々な宗教選別の法理を学び、実践して現実に幸福になった。自分が必ず幸福になれる教えを知った。それなのに、他の劣れる宗教をやって、なかなか幸福になれずに、ますます深みにはまって苦悩に喘いでいる。そういう知り合いなどがいたのなら、それを教えてあげるのが慈悲ではないですか。日蓮仏法は、自他共に幸福を目指す大乗仏教の真髄の教えなのです。

日本人は、「あの人はこれが正しいと信じているのだから、たとえそれが間違いであっても、その考えを尊重するのが寛容の精神である。それに口を差し挟むのは寛容ではない」と考えがちです。それゆえ、創価学会の他宗教批判(折伏)に対して、「そういう批判は寛容さに欠ける。独善だ!」との反感を抱きます。しかし、「それは違いますよ」と、言うべきことははっきり言ってあげるのが、真の寛容なのであり、慈悲なのです。

創価学会は、どこかの邪教団や独裁国家と異なり、力でねじ伏せて無理やり学会の教えを押し付けようなどといったことは、一切しないのです。どこまでも、相手の幸福を思い、どの宗教が一番正しいのかと、理路整然と学会の教義を語り、対話と納得の上で、創価学会への入会を導いているのです。

学会以外の宗教の人が、学会のように他宗教批判をしないというのは、寛容というよりは、別に自分が自分の宗教で幸福になれるなどとは真剣には考えてはいないからでしょう。自分の宗教に自信など持っていないとも言えます。だから自分の宗教を勧めて人を幸福にしようという発想も出てこない。自分だけ「気休め」に信仰していればいいと思っている。ゆえに確信をもって、自分の宗教の優越性を訴えるということもしないわけです。しかし創価学会員は違います。学会の信心の実証を目の当たりにして、自分の宗教に絶対の確信を持っています。よって他宗教を批判して、自分の宗教の優越性を人々に訴えかけるのです。

こういう姿勢は、安易な妥協が寛容の精神であると錯覚している世間の人々からの反感を余儀なくされますが、たとえ世間から反感を買おうとも、創価学会が真の法華経の行者たる自負がある以上、学会はこれからも、折伏精神をもって人々に宗教の正邪を示していく使命があるのです。

それを「批判」であり「攻撃」と捉えるのならば、そう捉える人の「境涯」の問題であるとしか言いようがありません。

不適切な内容が含まれている可能性があるため、非表示になっています。

投稿内容に関する注意

wousakiさん

2019/10/2221:48:48

一言で言えば、宗祖のマネです。

日蓮聖人は、書籍・書簡等で盛んに色々な僧侶(他宗批判?)を批判しています。特に、浄土宗の法然上人を厳しく取り上げています。それを見本にして、布教を行っているからです。

当時は、今の合衆国や中国・ロシアを合わせたような蒙古が、日本の隣に居る状況でした。日蓮聖人在世は、蒙古が一番栄えた時に当たります。その蒙古が日本に侵略しようとしていたわけです。
北条政権に提出した「立正安国論」には、次の様に書かれています。
【以下引用】
近年より近日に至るまで天変・地夭・飢饉・疫癘、遍く天下に満ち広く地上に迸る。牛馬巷に斃れ骸骨路に充てり。
・・・薬師経の七難の内五難忽ちに起り二難猶お残せり。所以、他国侵逼の難・自界叛逆の難也。

「他国侵逼の難」とは、侵略される事です。「自界叛逆の難」とは、内乱です。
当時の日本は、このような状況だったのです。日蓮聖人から見ると、法華経を無視した僧侶の在り方を許せなかったのですね。釈尊が「具足の道」(法華経方便品第二)をせっかく説いて、人々に「佛知見」を現したのに、その教えを説かない僧侶がいるので、白法が現れない。そういうふうに考え、当時の国難は、正法に背いた結果である、と主張したわけです。いわゆる鎮護国家と言う考えです。当時は、それが一般的でした。勿論、そうした考えに背を向けた僧侶(道元禅師)もいました。

日蓮聖人在世は、こういう逼迫した時代でした。それだけに、危機感を持った主張になったわけです。

【以下引用】
大蒙古国より押し寄せて、壱岐・対馬の様に、男をば折ち死し、女をば押し取り、京・鎌倉に打ち入りて、国主竝びに大臣百官等を搦め取り牛馬の前にけたてつよく責めん・・・(日蓮「妙密上人御消息」)

書物を読むと、日本が敗れる事も覚悟していた事が伺えます。その宗祖の強い言葉を、そのまま現代に持ち込む人々がいるという事です。

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