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板宿村の石高はいくらでしたか?

朝田詩乃さん

2019/11/1320:05:22

板宿村の石高はいくらでしたか?

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ytj********さん

2019/11/1813:23:47

板宿村というのは、元和3年(1617年)に幕府領から尼崎藩領となり、宝永8年(1711年)に再び幕府領となり、明治維新の時に明治新政府の兵庫県管下となった摂津国八部郡板宿村(現在の神戸市須磨区板宿を中心とした近世村)のこととして、以下村高の遷移をまとめます。

西宮市立郷土資料館所蔵の『慶長十年摂津国絵図』によると、慶長10年(1606年)の摂津国矢田辺郡板宿村の石高は484石7斗

正保郷帳の写しと考えられる『慶安元年摂津国郷帳』(尼崎市岸岡家文書)によると、慶安元年(1648年)の摂津国矢田辺郡下ノ庄板宿の石高は484石0斗7升4合、外新田82石2斗2升2合

『尼崎藩青山氏領地調』(加藤家文書)によると、寛文4年(1664年)の村高は542石余・家数52・人数277

国立公文書館所蔵の天保郷帳によると、天保5年(1834年)の摂津国八部郡板宿村の石高は542石4斗0升2合

木村礎改訂の『旧高旧領取調帳』によると明治元年(1868年)の取調旧高は、摂津国八部郡板宿村の石高は542石4斗0升2合

以上のほか、元禄郷帳に元禄15年(1702年)の石高が記載されているようで、自分には手元に数字の詳細がないので断定できませんが、多分542石余です。

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