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江戸時代の藩主は、年貢を軽くして民に甘くすれば徳川家から「もっと年貢を搾り取...

名無しさん

2019/12/100:50:57

江戸時代の藩主は、年貢を軽くして民に甘くすれば徳川家から「もっと年貢を搾り取れ!」と言われ、年貢を重くして一揆を誘発すれば怒られ、なかなか大変な中間管理職でしたか?

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glo********さん

2019/12/100:59:55

領地からどれだけ年貢を取るかは各大名の判断に任されていて、別に徳川家から命じられるものではありませんでした。
もちろんだからといって領地経営が楽なものではありませんが、江戸時代中期以降の殆どの大名は「良きに計らえと云っていれば名君だ」と言われるように、家臣に任せきりだったようです。

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tar********さん

2019/12/112:02:19

他の質問もそうだが、あんたは封建制を全く理解してないな


自分の懐に入らないのに
なんのために、そんな命令するんだ?

kazuma2050さん

2019/12/111:06:55

中間管理職よりひどいですね……


徳川幕府にとっての それぞれの藩は
江戸や 街道に藩の歳費をばらまいてくれる
カモネギ的な資金源でした……

まずそれぞれの藩主には
有事の際の軍役への備え( そなえ )以外に
江戸屋敷の維持という役務があり
これには莫大な歳費が必要でした

初期は
幕府から下賜された 広大な屋敷地の造成工事
造成が終われば
屋敷普請やら 白壁土塀の設置
将軍が「 御成り 」になるといえば 御成御殿の普請
将軍家ゆかりの姫を迎えるとなれば
姫の住む御殿の普請に 奥向きの維持に
これまた莫大な歳費が掛かりました

さらに頻繁に起こる江戸の火災により屋敷が消失すれば
屋敷地の埋め戻し造成工事に 屋敷再建という
苦役でしかないインターバルが待っていたのです

これら江戸屋敷の維持費は
広く知られる参勤交代の費用どころではありませんでしたから
それぞれの藩の年貢で足りない分は
札差などから借金をしたり
藩主の俸禄を借り出してまで用立てていたのです

結果として江戸という都市は
大きな消費地として繁栄し庶民の生活は向上ましたが
歳費の根本である「 米価下落 」により
武家はつねに金欠状態となり衰退……

反して各藩の藩主の多くは
借金まみれの中間管理職という状況になってしましました

2019/12/109:55:16

一般的に、諸藩の年貢は重く幕府天領の年貢は軽かったのです。
年貢の取り立ては藩の裁量の内だから幕府は文句言いません。
しかし、一揆が頻発する様だと統治能力なしとして藩は取り潰されました。

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jun********さん

2019/12/101:35:15

藩主が重税をかけても、幕府がその上前をはねるわけではありません。

ヤクザの世界なら、幕府にあたる本部に、稼いだシノギの何割かを、
上納金として納める義務があるから、本部から各地の組長は、
もっと搾り取れと、文句を言われますが、江戸時代の幕府は、
そんな搾取はしませんでした。

だからこそ、領内の統治がヘタクソで、一揆などの騒ぎを起こせば、
その藩は、すぐに取り潰しの処分を受けたのです。

よく、家康が、「百姓は生かさぬよう殺さぬよう……」
などと言ったように言われますが、これは明治政府が、
家康をディスるための捏造に過ぎません
江戸時代より、税負担が重くなった農民の不満をそらすために、
家康を悪者にして、ごまかそうとしたというのが実態です。

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