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三国志の「天下三分の計」について 以前から、疑問に思っていることがあります...

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ID非公開さん

2020/1/700:58:13

三国志の「天下三分の計」について

以前から、疑問に思っていることがあります。
孔明が劉備に天下三分の計を授けるシーンです。

端的に言えば、荊州と益州を支配下に置いて、天下を三分し、その後に曹操をたたく、といった感じだと思うのですが、これって「計」とよぶほどすごいことなのですか?

常識的に考えれば、当時の魏は強大な勢力を誇り、呉も一定の安定政権を築いています。残るは蜀の地域しかないではありませんか。 劉備でなくとも、たとえば荊州の劉表や益州の劉璋だったとしても、蜀を治めて天下を伺う以外の方法はないと思うのですが・・・。

当たり前のことを言っているだけにしか思えません。中国全土の地図を見ていれば、当然気づくことではないのでしょうか。みなさんはどう思われますか?

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kum********さん

2020/1/709:15:47

こう言うのはコロンブスの卵的なもので、知ってしまうとそんなものか、となるしたいしたことない話に聞こえますが、当時の劉備陣営にはこう言った戦略的な話をずばりとしてくれる人物は居なかった。

劉備自身もこのままの状況はまずい、と思っていたけれどそれを打開するための大方針を打ち立てることはできなかった。だからこそ何時までも傭兵隊長的な立場に甘んじるしかなかった訳ですからね。そこを諸葛亮は義や仁とか無視して、こうするしかない、と言うのをズバッと切り出してくれた。自分が今まで見てこなかった部分を切り込んできたからこそ評価されたのだと思います。

もっとも自分個人としては天下三分の話は、その後の諸葛亮の動きを見ていると少々眉唾(諸葛亮個人は天下三分にするために、ほぼ何もやってないのです)なところもあるので、どちらかと言えば魏略の話(戸籍抜けの人民を調べ、再度登録させていくことで収穫量と兵力を上げることができる、的な話ですね)の方がより現実的とは思っています(これは赤壁後に実際やってることですね)が、どちらにしても曹操に対抗していくための方策として、劉備にとっては貴重な進言だったと思います。

te9さんは魯粛を評価していませんが、彼は元々鼎の一つとして北方に変事が起きるまでに力を蓄えるしかない、曹操はもう簡単に排除できる勢力じゃない、と言う意見で天下二分を最初からうたっている訳ではありません。しかも魯粛から劉備に同盟を持ちかけた時、当初劉備達は警戒していたとあり、呉と同盟して天下三分なんて話、本当にあったのか?とも思えますね。

むしろ情勢に合わせて細かい戦略を変化させることができるのは、戦略家としては非常に優秀な部類だと思います。思考パターンを硬直させる方が戦略家としては失格ですよ。

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質問した人からのコメント

2020/1/10 00:29:56

私は魯粛を高く評価していますので、こちらをベストアンサーに選ばせて頂きます。蜀びいきの演義史観では魯粛は評価されませんが、実際にはすごい人物だと感じます。

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chi********さん

2020/1/721:10:22

三分とはいえ、その時の魏の勢力から見て三等分にはならないでしょう。

三分の計とは、蜀を領地にして勢力を伸ばすという単純な陣地取りの計ではなく、
「呉とは戦を避け出来るだけ連携して魏を抑える」
というのが、孔明の天下三分の計の肝だったかと思います。

つまりは「三分の計」というよりも、「蜀呉合従策」という面が強かったかと。

sad********さん

2020/1/708:09:18

「天下三分の計」そのものに関しては、そこまですごいとは思いません。劉備があの状況から逆転するにはほかに方法は無いでしょう。
ただ、劉備の陣営には大局的な目線で戦略を考える人は不在でしたからね。劉備にとって初めて大局的な戦略を授けた諸葛亮の存在は大きいです。


本当にすごいのは、がけっぷちの劉備陣営が、ともすれば机上の空論に終わったかもしれない「天下三分の計」を実行に移し、8割方成功させたことのほうですね。

曹操の拡張速度から言っても、タイミング的にはギリギリ。
長坂で逃げ切れず捕まっていたら…魯粛と出会わなければ…孫権側が降伏を選択してしまったら…赤壁で負けていたら…孫権に吸収されてしまったら…
1度でも失敗していたら、劉備は野垂れ死んでいた可能性があります。まさしく綱渡り。ギリギリの戦いであり、奇跡の快進撃だったと言えます。

nad********さん

2020/1/707:41:38

特に凄くは無いと思います。
そもそも張松と法正が劉璋を裏切って劉備に接触しなければ益州を奪おうとは思わなかったでしょう。

te9********さん

2020/1/707:02:53

劉表を頼ってた劉備には
思いつかない発想だと思います。
曹操に対抗するためにまずは劉表から荊州を奪え、って発想ですから。

戦前の日本がアメリカに対抗するために
まずアジアを征服し、ソ連と同盟を組む
と言ってるようなもんです。

まあ実行できたから凄いというのは
その通りだと思います。
完璧ではなくても
途中までは成功させました。

魯粛の当初の天下二分の計画(曹操が袁家を制圧するまでに荊州攻略)なんて達成率0%でしたからね。最大勢力の曹操を利しただけで劉表と争ったのは全く無駄でした。

劉備と組んで生き残りを測るという方針に
大転換しました。

sna********さん

2020/1/705:45:55

呉の魯粛や甘寧も孫権に荊州と益州を取って天下を二分する様に提言していますので、諸葛亮の天下三分も当時の常識です、要は徒手空拳に近い劉備と諸葛亮が成し遂げたからインパクトがあるのです

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