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お釈迦様は自灯明、法灯明を説いているのに

madさん

2020/1/1801:30:41

お釈迦様は自灯明、法灯明を説いているのに

なぜ仏像なんか存在するのですか?

お釈迦様は
掌の宝石を見るように真実を見よ
と言います

仏像なんて信仰を仰ぐだけのくだらないガラクタですよね
まぁ美術的な側面は認めますけど

補足ガラクタとか言っちゃダメですね
訂正します

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sam********さん

2020/1/2114:54:31

法か?仏か?普遍か?個か?知的貧民救済は疲れるので、そろそろ不毛な「普遍論争」は終わりにしてほしい。

普遍は個を持っていないが、個は普遍を持っている。
法は仏を持っていないが、仏は法を持っている。

法灯明・法帰依しても仏灯明・仏帰依したことにならないが、
仏灯明・仏帰依すれば法灯明・法帰依したことにもなる。

法灯明・法帰依はそれだけ、1.
仏灯明・仏帰依は仏灯明・仏帰依+法灯明・法帰依、2.

1と2どっちが良い?
「4枚増えて値段は同じ、どっちが得か?よく考えてみよう」

A+BとCを比べているのではない、A+BとA、A+BとBを比べている。

釈尊出世・如来出現、以前に仏灯明・仏帰依は選択できない。
釈尊出世・如来出現、以後なら仏灯明・仏帰依が選択できる。

現代は仏灯明・仏帰依も法灯明・法帰依も選択できる。
「仏灯明・仏帰依か、法灯明・法帰依か、どっちが得か?よく考えてみよう」

仏像を拝むのが「教養が邪魔をする」と言うなら「仏の名、名号・真言・種子」を拝めばよい。

現代は釈尊出世・如来出現以後の時代なんですから仏灯明・仏帰依が実践できるというメリットを享受すべきです。

法灯明・法帰依しか選択できなかった釈尊以前に戻る必要はなどありません。
法(真理)の瞑想なんて言うのは外道・愚か者の選択です。

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ベストアンサー以外の回答

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strange eyeさん

2020/1/2000:37:04

修行の励み。

仏随念にも役立つし。

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sag********さん

2020/1/1900:32:52

100%おっしゃる通りですね。

ただ、下の人の勘違いもあるように、法灯明の法を、「ダルマ」と知らなく、「正法」と思い込んでる人が多すぎるので、仏像も、仏教もそういう人達向けのおもちゃです。

自灯明も法灯明も同じ意味なんですねw
アートマンですから。

まあ、仏教なんてものは宗教団体がでっち上げた虚構です。
哲学書や歴史書を読みまししょう。

wousakiさん

2020/1/1812:13:44

質問者さんの目には、くだらないガラクタと映る様ですが、佛像は「法」(法灯明)を表しているのです。見る人が見れば、そこにあるのは「正法」なのです。だから、本尊とされて大切にされるのです。
見る人に依って、単なる彫刻の像が、佛法となる訳です。それを感じるからこそ、その像に聖なる物を感じたり、心が安らいだりする訳です。

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zzzさん

2020/1/1807:57:06

美術的な側面で良いんじゃないですか。

人間は、なぜ亡くなった父と母の写真を全て捨てようと思わないのだと思いますか?

手元に父母の面影を持つていたいからです。
時々、父母写真を見直して、優しかった父母を思い出し、育ててくれた感謝と命の大切さを感じ、生きる勇気をもらえることもあります。

【そんな死んだ人間の写真などガラクタだろ、断捨離しろ、捨てろ】

そう言っても、絶対に嫌だというでしょう。自分に勇気をくれる父母の写真。なぜそれを人からガラクタと呼ばれ、捨てなければならないのか。

●お釈迦様は自燈明法燈明を説かれました、しかし恋慕の心も説いています。父母への愛と尊敬、師匠や仏に対しても、人は敬い、その生き方を習い、成長していくのです。

●仏像は美術品としても優れたものです。宗教がなければ、美術などは発展しませんでした。仏像もそうですし、ヨーロッパの彫刻も、絵画も、すべて宗教画などから始まっています。

ですから価値があるものであることは間違いないです。あなたにとってガラクタでも、その価値を見出す人がいます。

ガラクタにしか見えない人がいても仕方がないですけどね。ピカソの絵を落書きにしか見えない人も居るんですから、(笑)

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ois********さん

2020/1/1807:48:45

ブッダ御存命時にもブッダは敬われ拝まれていたんですよ。
ブッダとブッダの教えに帰依しますということを態度で示していました。

それを、ヴァーチャルで再現しているのです。

ブッダ御自身も霊樹などを拝んでいたんですよ。
拝むという行為は、私心を捨てて虚心坦懐になる行為です。
瞑想行と同様に良い効果があります。
そういった行為を”敬虔”と言い換えることも出来るでしょう。
そして、ブッダは”敬虔な人たちが住む国は良い国なる”とも仰られています。”良い習慣が守られる国は繁栄する”とも仰られています。

拝む行為には心を落ち着けるなどの実益があります。

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