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今や使う必要もない古典や漢文を学校で教わる意味は何ですか?

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ID非公開さん

2020/3/2006:21:43

今や使う必要もない古典や漢文を学校で教わる意味は何ですか?

古語が美しいというのは理解できますが、わざわざ受験科目にする必要はないと思います。

日本の古典を読んで大和魂を云々というのも理解できますが、
専門家の現代語訳を読めばいいのでは?

現代人で「源氏物語」を読んだ人も、多くは現代語訳版だと思いますよ。
学校教育程度の古典文法では源氏物語なんてまともに読めません。

英語にはTOEICなど資格があったり、そもそも講義が英語のところもありますから、
大学生以後も英語を勉強する人は多くいます。
しかし、古典には就活で使うようなメジャーな資格試験なんてないし、講義で古語を教わる学部も限られているので、
大学卒業するころには、受験生時代に一生懸命勉強した古典文学も忘れています。

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ベストアンサーに選ばれた回答

スタスケさん

2020/3/2416:54:35

こんにちは。

私は勉強とは”受け止める訓練”だと思っています。

確かに現代で古語を使うことはもうありませんが、大切なのは平安時代の人々の「夢」に対する信心深さを「いい大人がなに夢なんかに左右されてんの?」と切って終わらせることではなく「そういう時代があったんだ」とまずは受け止めることだと思っています。受け止めた後は自分の価値観に従えば良い、そんなイメージです。それで言うと古典はそのための手段の一つなだけで、時代とともに変わっていくものかもしれませんね。



実は、普段の学校生活の中で”全く知らない価値観を受け止める”機会て早々無いと思っています。そして大学の勉強の醍醐味はまさに”全く知らないことを学びにいくこと”だと思っているので、受け止める力が無いと大学の学びは面白くないかもしれません。

実際に大学を卒業して社会人として働き始めた時に、大学で実務を学んだことと同じくらい「まずはその人の考え」を受け止められる力があれば、きっといろんなことに対処していくことができると、一人の社会人として感じます。


私の意見も”受け止めて”さえもらえれば本望です笑

ベストアンサー以外の回答

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りりさん

編集あり2020/3/2321:10:12

万葉集って知ってますか?
日本最古の和歌集で、天皇から庶民まで沢山の作者の歌がはいってます。

私が好きな歌をあげます。
なかなかに 人とあらずは 酒壺に なりにてしかも 酒に染みなむ
(訳:中途半端に人間でいるくらいなら酒壺になりたい。そうすればたっぷりと酒に浸れるだろう。)

やっぱり、お酒は美味しいですもんね!
先人もお酒が好きだったなんて、ためになるな…!

適当に詠んだ歌(たぶん)が教科書に載って、教養だからと言って勉強しているのだから、いとおもしろし!

千年後、古典の教科書を開いたら、「まじ卍 意味:気持ちが高ぶる様」と書いてあるかもしれませんね。

古典は嫌いではありませんが、教養だから…日本人だから…といって、学習を強いるのではなく、なぜ必要なのかを私もぜひ教えていただきたいですね!

私は理系分野や外国語など実用的なことを重点的に勉強すべきだとおもいます。

2020/3/2120:10:47

例えば、フランスの小学生は、国内で有名な詩人の、
古いフランス語で書かれた有名な詩を
暗誦させられるそうです。(詩人と詩のタイトルは忘れました)

源氏物語の冒頭を覚えるのと、まったく同じです。

世界共通の認識で、教養とはそういうものです。

まあ、教養とは何か…?を理解しようとしない人には、
必要無いでしょうけどね。

必要無いと思う人は、そのステージのままで
今後も生きて行けばよろしい。

rsm********さん

2020/3/2112:20:19

古典に限らず、学校教育なんて、「使うからやる」ものではありません。「この程度のことはできて当然」なんです。「脳味噌の使い方の練習」という性質もあるでしょう。

逆に聞きますが。例えば、数学ができないやりたくない人が「微積分なんて使わない」とか言ったりしますね。それは気になりませんか?
『みぞうゆう』とかぬかす程度の輩が、未曾有の国難に際して何の役に立ちますか?

renardさん

2020/3/2016:11:14

野球、サッカーと同じ、と誰が言っていました。まさしく。誰もがプロになる必要もなく、観戦であってもいいでしょう。たまに草野球で楽しめればいいでしょう。

むしろ、英語に関して、実用していますか、といいたい。測るためのテストがあり、テストのための勉強に追(もしくは終)われる。TOEIC対策をしているとして、例えば、英語を、洋画みるなどして、楽しみましたか?結局、英語も使ってないのではと。

与えられたことをこなしているだけ。使っている人は質問のようなことを聞きません。聞く必要もない。

sen********さん

2020/3/2012:46:59

古典や漢文は実用という観点からすれば度合いは低く、この習得に要する時間は勉強全体の効率に影響する。何故、あえて高校で勉強するのだろうかということですが、知恵袋には同様の質問が昔から数多くあり、いわば古典的課題のようです。回答を辿ると多くの考え方を識ることができますが、私は概ね次のように回答しています。

日本は、敗戦直後の一時期、過去の国語教育を否定し、有用性の追求から某文豪は「国語はフランス語にすべし」と言い、また一部には、漢字廃止論、かな文字全廃ローマ字化論などの極論もありました。
現在の日本には、内部では英語オンリーという組織もあるようで、この方向が一般化するのか興味深いところです。

それはさておき、古典や漢文に限らず、高校教科の勉強には自分にとっての有用性を確かめるという意味があると思います。各人が優先順位を判断し、低ければそこで手抜きをすればいいし、後になって気が変わればそこに戻って学べばいい。ゼロスタートよりずっと効率的でしょう。
早くから教科を絞り込んで集中的に鍛える方法もありますが、高校までは幅広く貪欲に吸収することが後の生き方の幅を広げ、充実の人生に繋がるような気がします。

つまり、古典や漢文は日本の歴史文化に深く関わっており、日本の社会の一員であれば一度は触れるべき分野で、高校レベルの入り口に始まって、程度の差はともかくも身につけておきたい素養の一つでしょう。

ちなみに、太宰治の「正義と微笑」(昭17(1942))の一節を次にコピペします。(青空文庫より)

「勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!」
(旧制中学の教師が学校を去るに際し、生徒たち(16歳くらい)に残した言葉)

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