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新田義貞は、鎌倉を落とす大功を立てますが、建武新政での論功はどうだったのです...

dyw********さん

2020/5/2321:41:24

新田義貞は、鎌倉を落とす大功を立てますが、建武新政での論功はどうだったのですか。

新田義貞自身満足いくものだったのですか。

北条に気を使いながら新田の荘でくすぶっていたことを思えば、一時的には恵まれたのですか。
それとも、不満足だったのですか。

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2020/5/2323:19:53

新田義貞は、足利尊氏と同じく、新しい世を期待して、

「後醍醐帝のために」北条一族を倒しましたが、

後醍醐帝は武士の恩賞には目もくれず、

楠木正成など後醍醐に近い一部の武将のみを取りたてました。

これが建武の新制の失敗であったのですが、

新田義貞は、満足の行く恩賞も官位も貰えずとも、

それでも、足利尊氏と組み事を嫌い、後醍醐帝の元に

残りました。勿論、満足できなかったでしょうね。

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jun********さん

2020/5/2321:49:07

武士としては、足利尊氏に準ずる評価を受けました。
鎌倉幕府の下では、足利氏は北条氏に次ぐ大勢力で、
数か国の守護を兼任するほどの大勢力でしたが、
新田氏は上州の一御家人に過ぎない存在でした。

それが、一躍足利氏のライバルに擬せられるほどの存在になれたので、
本人は大喜びだったはずです。
だからこそ、一族を挙げて、南朝方として尽くしたのでしょう。

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