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最近仏教(仏教にも色々あると思いますが)の考え(一切皆苦、和顔愛語など)をい...

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ID非公開さん

2020/6/2722:49:02

最近仏教(仏教にも色々あると思いますが)の考え(一切皆苦、和顔愛語など)をいいなーと思うときが多いんですけど、お釈迦さまなどの超越的な存在?を信じているわけではありません。その場合、やはり仏教徒として

はふさわしくないですか?

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san********さん

2020/6/2810:09:51

仏教の教えをつまみ食いしても、その人の人生において善が生じ、苦が減じるならそれは良いことです。
なので、仏法僧に帰依した覚えがない人まで、仏教徒としてどうか、ということなど気にしないで良いと思います。

しかし、経典をきちんと学んでみるとわかることですが、仏教とは透徹した智慧によって非常に精緻に組み立てられた論理と実践の体系であり、そこで説かれている様々な教理教説はお互いを補完するような関係になっているため、自分の好みで部分的に受け入れたり排除したりということをしていると、結局のところ仏教については何もわからないという結果になります。
仏教についてわからなければ、仏教から得られる利益も大したものではないということになりますから、最大の利益を引き出したければ、先入観を持たずに仏教を勉強してみるのも良い思います。


また、仏教は確かに「超越的」なことについて説いてもいますが、超越というのは何を基準にしているのかということが問題です。

わたしたちは、生きる中で様々な観念・概念を取り入れ、それらによって世界や人間というものを理解したつもりになっています。
しかし、実際に私たちが世界を経験して理解しようとするとき、頼りになるのは知識ではなく、自らの肉体に具わった感覚器官と、心の二つです。仏教では名(ナーマ=心)、色(ルーパ=身体)と呼びます。

私たちは心身を通してしか世界を体験できませんから、私たちの悩みも苦しみも心身を通して現れるわけです。
つまり私たちが本当に学び、理解する必要があるのは、心身とは何か、ということなのですが、現代の科学は心身については殆ど何も解明していません。

心とはなんでしょう。
科学はそれを身体から発生する化学的・電気的な現象だといいますが、そもそもなぜ身体という物質の固まりがそんな現象を起こす必要があるのかについては何も語れません。
自分を維持するためというなら、そこまでして維持されなければならない自分とは何かについても科学は説明できません。
また、感情や思考というのはどうして生じ、なぜ生じたはずのものがいつのまにか消えるのか。
欲望というのはどうして生じ、人によって欲望が生じる対象が違うのは何故か。
苦しみとは何か。何故、自分の身体から生じる化学的・電気的な現象に過ぎない心が、自分の身体を損なうほどの苦しみを感じるのか。

こうしたことに科学は何も回答できないのが実状です。
一方、仏教はこれらに関して余すところ無く回答しています。
そして、仏教の回答は言葉だけではなく、言葉が真実であることを心身を通して理解するための実践法に基づいています。
つまり仏教的実践を学ぶと、科学的言語を超越したことが実際に分かるようになるわけですが、科学を超越していたら間違っているということになるのでしょうか?
科学が未開発なだけという可能性もあるわけです。
未開発な科学に依存しているわたしたちの観念や常識が狭量なだけという可能性もあるわけです。
科学信仰に陥っていない自由な精神を持つ人なら、こういうふうに考えてみるのもひとつの選択肢ではないかと思います。

sam********さん

2020/6/2809:48:49

法を求めるなら理性、仏を求めるなら信仰。
法を求めるなら哲学でも外道でも良い、仏を求めるなら仏教しかない。
法は仏教の普遍性、仏は仏教の個性。
仏教の不共(ふぐう)殊勝、未曽有な個性=仏、を求めるとき理性は役に立ちません。
>仏教徒としてはふさわしくないですか?
仏教学者として通用しても、仏教徒にはなれません。
仏教学者の仏教は論文が書ければいい、仏教徒の仏教は「死ねる仏教」でなければならない。

仏教学者なら語学と偏差値で成れる、仏教徒には誓願・発菩提心が必要。

勘違いしないように、仏教徒になる方が仏教学者になるよりハードルが高いのです。

長いけど読んでみて↓

「根本仏教神話を非神話化しよう ー明治仏教百年の錯誤ー 」佐伯真光(前半)。
1968、昭和43年。

日本仏教は堕落した仏教か

明治以後今日[追記:昭和43年、1968、明治維新100年]まで、日本の仏教界には一つの神話がおこなわれてきた。それは仏教が本来合理的、理性的、科学的な宗教であり、かつてインドには純粋で明澄な原始仏教なるものが実在したという神話である。姉崎正治はこのような理想的な仏教を<根本仏教>と名づけた。この神話を信ずる立場からみれば、仏教史は仏教堕落の歴史にほかならぬことになる。根本仏教は部派仏教に堕落し、小乗仏教という動脈硬化におちいった、この弊をすくうべく現れた大乗仏教も、インドの俗信に埋没して、右道・左道の密教となり、堕落の極、ついに仏陀の真精神はインドの地から失われた ー 巷間に行なわれる仏教概説書には大なり小なりこのような仏教史の図式がのべられている。この図式を信ずるかぎり、日本の仏教各宗派はいかに弁明しようとも、結局は本来の仏教から見れば異質的なものであり、堕落した一形態にすぎぬことになる。

明治以降の日本の仏教学者はこうした仏教史の図式を自明なものとして承認したうえで、それぞれの所属する宗派の教義と信仰が根本仏教と矛盾するものではないことを証明しようとしてきた。しかしこれは元来無理な注文というべきだ。「日本仏教は仏教にあらず。故に仏教なり」ということをいくら論証しようとしても、ナンセンスだからである。これは最初から負けることにきまっている戦いを戦うようなものである。だから明治以降の各宗派の学者や僧侶は、いつも劣等感に悩まされ続けてきたようにみえる。たとえば私の所属する真言宗では、毎年おこなわれる教学大会のシンポジウムで本尊統一論や現世利益、加持祈祷の是非が論じられているが、これも裏をかえせばそうしたコンプレックスと自信のなさのあらわれにほかならない。仏教堕落史の図式を受け入れる限り、日本仏教の各宗派には絶対に浮かぶ瀬がない。

しかし考えてみると、これはそもそもおかしいことではないか。我々は最初から仏教徒なのであって、大学で仏教史の講義をきいた結果、仏教徒になったのではない。本来仏教徒であるはずの我々自身が、他人から仏教史を教えられてコンプレックスに陥るという事態が異常なのである。仏教についてなら、仏教徒である我々自身を標準にすべきだという明瞭な真理を忘れて、我々は合理的宗教としての根本仏教という、外から与えられた物差しで自分たちをはかろうとしてきたのではなかろうか。このような本末顛倒の見解にとらわれていたから、日本の仏教学者は「日本仏教は仏説にあらず。故に仏教なり」という無理な論式を証明しようと躍起になっていたのである。このような偏見を除き去って、仏教徒が自分自身で考えることをはじめるならば、我々は「日本仏教は仏説にあらず」という命題の背後にある「根本仏教は合理的宗教なり」という前提が実は単なる神話にすぎなかったことに気づくのである。

理性的宗教としての仏教

いわゆる合理的宗教としての仏教と言う神話がつくりだされたのは、十九世紀のヨーロッパにおいてだった。ヨーロッパの学者が本格的に仏教に接触し、その研究をはじめたとき、彼等は、十九世紀合理主義の立場に立って、パーリ語文献のなかから好みに合う部分だけをひろい出し、まったく頭の中だけで純粋・明澄な原始仏教なるものを、虚構したのである。十九世紀といえば、近代ヨーロッパ思想の主潮流だった合理主義がその完成期に達した時であったし、またその立場からするキリスト教批判が最も盛んにおこなわれた時期にもあたっていた。この時に紹介されたパーリ語仏教はヨーロッパ人の目に驚くべき合理性をもった、新鮮な宗教体系として映じたのである。彼等はこの中に、ヨーロッパの<非合理的な>宗教には見出されないユニークな法則化認識を求めて、四諦・八正道・三法印・十二縁起などという教義をひろい出し、このような<近代的思惟>をうみ出した古代の東洋の智慧に随喜した。今からみると、オルデンベルク、ノイマン、ガイガー、ヴィンテルニッツ、初期のリス・ディヴィズ等によって描かれた原始仏教の世界は、彼等自身の先入観の無意識的な投影だったのである。彼等はパーリ仏典を彼等自身の思想的立場から勝手に<解釈>していたにすぎない。

こうした事情は、十八世紀にヴォルテールなどの啓蒙思想家やアンシクロペディストたちが、中国の古代儒教のなかに理想的な合理主義・道徳主義的宗教の典型を見出して随喜したのと、極めて類似している。合理的宗教としてのパーリ仏教の発見は、それの十九世紀版だといってよい。両者に共通しているのは、古代の東洋にユートピアが存在したという、ヨーロッパ人の東方憧憬のロマンティシズムである。未知の文化にはじめて接触したとき、そのなかの美点だけが拡大されて目にうつるという過ちから十九世紀の合理主義者たちも自由であることはできなかった。

しかし、このような先入見にみちたヨーロッパ人の仏教観は半世紀も続かなかった。パーリ文献から、サンスクリット、チベット語文献へ、さらにシナ、日本の仏教へと欧米人の視野が拡大し、欧米の学者が漢訳大蔵経を読みこなすようになると、事情は一変した。これはまたヨーロッパ仏教学の主流が、ドイツ・イギリス系学者の手から、フランス・イタリア・ポーランド系学者の手へ ー すなわちプロテスタント系からカトリック系へ ー と移った事情とも平行している。今世紀に入ってからは、仏教をインド思想の流れの一環として、あるがままの姿でとらえようとする立場がヨーロッパの学界では確立した。パーリ文献を虚心に読むならば、そこには必ずしも倫理宗教としての仏教ばかりでなく、古代人ならば当然抱いたであろうような無知や俗信が混在していることがわかる。そして古代人の一人だった歴史的仏陀が十九世紀合理主義者と同じように思索し行動したと考えることのほうが、むしろ不合理だということがわかるだろう。

こうした仏教観を一番はっきりと打ちだしたのは、仏教学のポーランド学派の祖ともいうべきスタニスラフ・シャイエルであろう。彼は初期の著作『救済教としての大乗仏教』以来、『東方の諸宗教』におさめられた晩年の論文にいたるまで、一貫して、仏教は単なる倫理教であったことはなく、最初からそれ自身の神話と祭儀と救済の教義を持った宗教であったと主張してきた。彼の所論は要するに、小乗仏教のあとに大乗仏教がくるのではなく、多くの神秘的教義を含んだ大乗仏教こそ、最初期の仏教に直接由来するものだという点にある。彼は如来信仰が仏陀以前からインドに存在していたとする一方、いままで原始仏教の根本教義とされてきたような合理的教義、たとえば無常・無我・涅槃(ねはん)等は本来の仏教のものではなく、のちに仏教教団が現実の生活から遊離し、僧侶が僧院で孤独な冥想にふけるようになってから創作され、パーリ経典に付加されたのだと考える。すなわち、彼によると仏教史の順序は、小乗から大乗へ、ではなく、大乗から小乗へ、となる。ポーランドの生んだもう一人の偶像破壊者コペルニクスと同じように、シャイエルは仏教史の図式を逆立ちさせたのである。
追記:[Stanisław Schayer (1899-1941)]

シャイエルの個々の議論にはいろいろの問題があるのはたしかだが、彼によって代表される一群の学者の出現によって、原始仏教神話が完全にうちくだかれ、第二次世界大戦後には合理的宗教としての原始仏教を説くような「神がかり的」な学者はヨーロッパでは一人もみられなくなったことはたしかである。欧米仏教学の解説付綜合論文目録であるビブリオグラフィ・ブディクをみれば、そのことは極めて明瞭である。そして文献研究の進展とともに、今まで最古層の仏教文献とされてきた法句経やスッタ・二パータを仏陀金口(こんく)の直説とする考えも次第に根拠をうしない、歴史的仏陀の人間像は沙門文学の伝承中に解消していきつつある。非神話化から実存論的神学へと展開したキリスト教の場合と非常に類似した状況が仏教についても起こってきた。

ところがこのような欧米の学問の進展とくらべると、日本ではあいかわらず合理的宗教としての原始仏教という神話がおこなわれているのはなぜだろうか。それには、江戸時代から明治にかけて、日本の仏教がどのような状況におかれていたかをふりかえってみることが必要だろう。

根本仏教神話の輸入

江戸時代の日本思想史を通観するならば、誰でも国学や儒学の隆盛にくらべて、仏教界からは独創的思想家が一人もあらわれなかった事実に気付くだろう。批判的精神に立って仏教文献の成立史を構築した富永仲基を、近代の仏教者の典型とする見方があるが、著作にあらわれた限りでは彼自身は仏教徒としての自覚をもっていなかったのだから、彼を仏教者に算えようとするのは無理である。彼は仏教文献の背後にある虚構を犀利な目で見抜いた自由な思想家だった。

以下、別ID
man********で投稿します。↓

man********さん

2020/6/2809:42:53

↓続き

もちろん文献研究だけについていえば、仏教界にも鳳潭、普寂、飲光等のすぐれた学者があらわれたが、彼らも結局は仲基と同じように孤高の学者たるにとどまり、国学や儒学の場合のような学派を形成しなかったので、その学問の発展と継承はおこなわれなかった。江戸時代になぜ仏教思想家があらわれなかったかは、近代仏教史研究の課題の一つであろう。思想家がいないということは、新しい時代に対応する思想的裏付けがないということである。

ともかくこのため、明治になって泰平の夢から目をさました時、仏教徒は二つの面で劣等感に悩まされることになった。その一は国学と儒学に対するものであり、他の一はキリスト教に対するものだった。この両面の勢力と対決したとき、彼等は在来の宗乗学や性相学があまりにも無力なことを痛感せざるをえなかった。そうしたコンプレックスを克服するために、明治の仏教徒がとびついたのが根本仏教という舶来の教えだった。

ヨーロッパに留学した姉崎正治は、パーリ語文献という新しい仏教研究の分野を紹介すると同時に、ヨーロッパ人が虚構した原始仏教観をも輸入して、これを根本仏教と名づけた。彼はこれによって錯雑した仏教発達史の根本に純粋な仏陀の人格と教説があったと主張し、仏教統一の夢を実現しようとした。彼およびその亜流はこの根本仏教を叫ぶことによって、仏教が現代人の思考に最も適した合理的宗教であり、国学・儒学・キリスト教の何れよりも近代的であることを証明しようとしたのである。その証拠は何よりも、ヨーロッパ人が原始仏教の教理に感嘆し、彼地に一種の<仏教ブーム>がおこっていることからも知られる、と彼等は暗示するのを忘れなかった。すなわち彼等は、自分自身の主体的な問題を自分で考えぬこうとはせず、借り物のヨーロッパ合理主義で解決しようとした。そしてそれを日本人一般の西洋崇拝によって巧みにすりかえて、平然としていたのである。そしてその合理的原始仏教なるものが、当時のヨーロッパ人の仏教理解の限界を示す神話にすぎなかったことには気がつかなかった。

姉崎は自ら富永仲基の学統をつぐものだと自負したが、舶来の神話を素朴に信じてしまった点では、文献学の本当の意味を知っていた仲基の足許にもおよばない。本来、文献学は真理探究の手段であり、プロセスである。真理に向かって無限に近づいてはいくが、絶対に絶対真理には到達しない。だから文献学の成果はいつもヒポテーゼである。現時点での資料解釈ではどんなに正しいことであっても、後人は新しい資料を発見し、新しい方法を駆使してそれをのりこえて行くだろう。それが本当の学問であり、文献学の精神なのだ。ヨーロッパの初期の仏教学者たちが合理的宗教としての原始仏教を虚構したのも、当時の制約された仏教文献の知識と、貧弱な隣接学問分野の成果からすれば、むしろ当然だったかも知れない。このヒポテーゼは修正され、追加され、破棄され、次第にバランスのとれた今日の仏教研究の輪郭が形成されるようになってきた。その意味で紆余曲折はあったにしても、ヨーロッパ人の仏教研究は学問の正しい路線にそって発展してきたといえるであろう。

ところが日本の仏教学者はこのヒポテーゼを自らの信仰にしてしまった。その点で姉崎正治は富永仲基に比するよりも、むしろ本居宣長、荻生徂徠の系列に連なる学者とみるのが正しいだろう。たしかにこの三人にはある共通したものがある。宣長も徂徠も文献学の開拓者だった。宣長の古典研究における実証的態度や、真理に随順しようとする精神には何びとも賞賛を惜しまないであろう。しかし彼は古典を通して古道を明らかにすることによって、万国にすぐれた神ながらの道が我が国の上古に実在したと確信したのである。村岡典嗣氏の表現をかりるならば、宣長は「古代人の認識したところを再現認識する」という古典学の精神から、「古代人の認識したところを真実として信仰する」立場へ独断的に飛躍してしまったのであった。

中略

姉崎の『仏教聖典史論』があらわれたのは明治三十二(一八九九)年だった。ふつう、これが日本における本格的な近代仏教学のはじまりの年とされているが、いったい、姉崎の仏教学は真に近代仏教学とよばれるのにふさわしいものだったろうか。むしろ彼は宣長・徂徠の線に仏教徒がようやく達したことを示す時代おくれの里程標に過ぎなかったのではなかったか。姉崎は十九世紀ヨーロッパの仏教研究の成果を日本に紹介し、原典研究という新しい学問の地平線をひらいた。その功績は大きい。しかし同時に、貧弱で偏見に満ちた当時のヨーロッパ人の仏教観を直輸入し、古代インドにそのような理想的宗教が実在したのかのように説いた。これは国学者の古道崇拝、儒者の聖人信仰とまったく揆を一にしている。しかも宣長が「古代人の認識したところを真実としてこれを信仰した」のにくらべると、姉崎は「古代人が認識したと十九世紀のヨーロッパ人が認識したところのものを真実としてこれを信仰した」のだから手がこんでいる。さらに宣長や徂徠の文献研究が自身の刻苦の結果生み出された、いわば努力の結晶であるのにくらべると、姉崎のそれはヨーロッパ文献学の受け売りにすぎぬ。姉崎の独創はこれに「根本仏教」の名を与え、不変の信仰規範として、日本の仏教徒に売りこんだことである。

中略

爾来、日本の仏教徒は「根本仏教」が実在したことを信じ、この第一前提がくずれたら仏教もなくなるものと錯覚してきた。それが神話であることを知らず、虚構を実体だと全員が信じているところに、神話の神話たる所以がある。奇妙なのは、ヨーロッパ人が間もなくそれから脱却してしまったにもかかわらず、明治時代にそれを輸入した日本の仏教徒だけが、今もなお十九世紀の神話を後生大事にかかえこんでいることである。日本人の外国文化受容に関して丸山真男氏が説いた「タコツボ文化論」が、この場合には正しくあてはまる。

自主性の喪失
仏教は本来合理的宗教であったという神話は、今でも一般の仏教入門書や啓蒙的講演者の口を通してひろく流布している。このような神話を非神話化するためには、まずこの神話によって、明治以後の仏教徒がどのように<洗脳>されてきたかを考えてみることが必要であろう。以下にあげる罪状表は実際上は互いに関係しあっているので、分けて考えるのが難しいが、便宜上項目をたててのべてみよう。

第一にこの神話は仏教徒に自主的に考えるという気風を失わせた。

明治になって西洋の学問に接するまで、日本の仏教徒は根本仏教という言葉も原始仏教という言葉も知らなかった。仏教が合理的宗教か非合理的宗教かという問題のたて方がなされたこともなかった。しかもすぐれた仏教者は自主的に仏教者として行動していたである。最澄、空海、法然、栄西、親鸞、道元、日蓮はパーリ語を知らなかった。しかも彼等はパーリ語文献に通じた現代の学者よりも、はるかに立派な仏教徒だったのである。ところが明治になって、文献学と言う仮面で粉飾された根本仏教なるものが紹介されると、仏教徒は自分の信仰と根本仏教とをどのように調和させるかに腐心しなければならなくなった。各宗の宗乗学者は、合理的宗教としての原始仏教というものの実在を疑う余地のないものとして承認した上で、宗学が原始仏教とは矛盾するものでないことを立証しなければならぬ破目に追いこまれた。それまでは自律的に考え、自主的に思想を展開してきた日本仏教が、合理主義という新しい物差しに寸法をあわせなければならなくなったのである。

中略

現代の禅宗学者が、禅こそ根本仏教に直接由来するものであると論証しようと夢中になっているのはこのためである。また、いわゆる根本仏教の教理と浄土教信仰の矛盾に悩んだ明治以後の真宗学者が、真宗の非呪術的な ー すなわち合理的な ー 面をことさら強調し、親鸞の「現世利益和讃」にまで苦しい合理的解釈をほどこすようになったのも、同じ事情にもとづいている。

このため、現代の仏教学者には自己の主体的意見というものがない。それは現在の学界では、仏教学者イコール文献学者であって、仏教学者イコール仏教思想家ではないからである。根本仏教神話が日本に輸入されてからは、近代思想の深淵をのぞき見て、そこから勇敢に現代と対決しようとする仏教思想家があらわれなかった。いや、あらわれてもそれは仏教学者とは見なされなかった。仏教学者は似而非文献学でお茶をにごし、自分では本当に考えようとしなかった。だからどんな問題について質問しても、返ってくるのは「さる文献にはかく記されている」という答えばかりである。欧米の学者やジャーナリストが日本を訪れて、各宗の高僧や学者に会見していつも当惑するのはこの点である。そんな答えを聞くためなら彼等はわざわざ日本まで来る必要はない。図書館だけで十分である。彼等がききたいのは経典の引用ではなくして、天台宗の僧侶として、浄土宗の学者として、現実の仏教徒がそれをどう考えるかという点なのである。

中略

明治以前の仏教徒ならばこのような場合、原始仏教など引き合いに出さず、自分の信仰に基づいて意見をのべたにちがいない。明治以後、ヨーロッパから学んだはずの仏教学者がおかした最大のあやまちはヨーロッパ思想が教える一番重要な点 ー 自分で考えるということ ー を学ばなかったことである。

(一九六八・ニ・一)

続きは省略。

『大法輪』昭和43年4月号、以外に単行本、佐伯真光『アメリカ式人の死に方』自由国民社に再録されています。

中略せずにコピーできると思いましたが駄目でした。

神話に幻惑されず主体性を持って「死ねる仏教」を学びましょう。

  • man********さん

    2020/6/2811:15:45

    中村元を葬る。

    中村元『ゴータマ・ブッダ』II、中村元選集[決定版]第18巻、p.445
    >ゴータマ・ブッダも臨終には気に入らぬことがあると、気が高ぶって、いらいらしていたらしい。修行僧ウパヴァーナが釈尊の前に立って、釈尊を煽いでいた。しかし釈尊はかれを退けた。『去れ、修行僧よ。わが前に立つなかれ』。釈尊でも凡人のようにいらだつことがあるかどうかということが学者のあいだで問題とされ、また経典はここでももっともらしい説明を加えているが、人間ゴータマのすがたを伝えているのだと解すれば、なんら問題はないはずである。かえって人間らしい姿である。

    仏は人間らしい凡夫でなければならない???!!!
    釈尊は成仏後でも「思いあがる」ことがある「気に入らぬ」ことがある「気が高ぶる」ことがある「いらいらする」ことがある????
    中村元のアタマはほとんど「知的障害」!!!

    >また経典はここでももっともらしい説明を加えている


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tak********さん

2020/6/2809:40:29

お釈迦様は我々と同じ苦悩する人間だったので、教えに納得できます。
啓示宗教(神の言葉であるという設定の宗教)ではないところが魅力です。

心理学をやっていたんで、心理学学徒が違和感なしに選択できる宗教が仏教であったという理由もあり、すんなりと仏教に興味を持ちました。(もっとも中村元博士の一連の原始仏典の翻訳文庫本に出会っていなければ、仏教にも興味は持てなかったかもしれませんけどね)

ヨルさん

2020/6/2809:29:17

お釈迦様は、お手本となる立派な御方です。

人として生まれて、不可思議な因縁によって人を超越されましたけれど、ご本人は誰もが仏になり得ることを示されています。

ご本人がこの世におられた時は、仏教徒にお釈迦様の身体を崇めさせなかったそうです。仏は誰に対しても心の壁が無いので、偉大さで人を萎縮させたり崇拝させたりしませんでした。

ですから、誰にとっても、理想的なお手本となる存在でした。崇拝するとしたら、お釈迦様の身体では無く教えだったそうです。説かれた教えは法(ダルマ)と呼ばれています。

お釈迦様は法を明かされているのですが、お釈迦様もまた法を拠りどころとされているとおっしゃっています。お釈迦様は法を体現されています。

もし誰かに説得された訳では無く、お釈迦様の教えを少し聞いただけで、いいなあと思えたのならば、既に仏教徒としてふさわしいと思います。

お釈迦様に対して良い子を演じる必要はありません。超越的な存在として、いまもお釈迦様がおられるか否かを疑っても良いです。お釈迦様の行動に疑問を感じても良いです。素直な感想を抱いて良いです。不満を持っても良いです。素直であることが良いです。もっとお釈迦様をよく知ろうとするが大切だと思います。

教えの素晴らしさを仄かでも感じることが大切なことです。自分をよりどころとして、自分なりに堂々と仏教に親しんで良いと思います。

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