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映画関ヶ原の戦いにて、この合戦の大きさは日本始まって以来だといっていましたが...

iul********さん

2020/7/523:32:51

映画関ヶ原の戦いにて、この合戦の大きさは日本始まって以来だといっていましたが、源義仲が督戦した源平合戦も匹敵するものではなかったですか?

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tat********さん

2020/7/1216:45:45

千早城の戦いでは楠木正成の兵力は千なのに対して、鎌倉幕府軍は二百万と記述されてます。
そんなのを信じる方がおかしいです。
南北朝の争乱や源平の争乱の時代の兵力記述はアテになりません。

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jun********さん

2020/7/703:08:42

源平合戦の頃の日本の推定人口は、750万人程度、
関ケ原の合戦の頃は1200万人程度です。

従って、源平合戦やその後の南北朝の頃の、
兵の動員数は人口比でみると、あり得ない数字です。

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2020/7/623:14:28

源平合戦は、数が一桁多く誇張されています。

「騎馬10騎」と言ったら、お付きの者が「30万人」付くことに。

よって、源平合戦は「表記の10分の1の兵力」と考えるべきでしょう。


逆に「石高」から動員兵力が明確に割り出せるようになった

戦国時代は、資料の実数に近いので「関ケ原」は両軍あわせて20万

と最大級になったと言われます。

源平合戦は、数が一桁多く誇張されています。

「騎馬10騎」と言ったら、お付きの者が「30万人」付くことに。...

ral********さん

2020/7/609:49:33

源平合戦を描いた平家物語や南北朝を描いた太平記などに書かれた兵員数は相当盛られたものだというのが定説です。
源平合戦では双方7~8万くらい、新田義貞や北畠顕家は5~60万もの大軍を率いたことになってますが、この時代の人口を考えてもあり得ない話です。せいぜい何度もの戦に参加した延べ人数を足し合わせた数字だろうし、まして個々の戦闘に参加した人数はせいぜい数千~1,2万程度だったろうとみられています。
秀吉の小田原攻めにも20万の軍勢が参加したことになってますが、これも各地の戦闘に参加した延べ人数で、全員が小田原で一斉に戦闘に参加したわけじゃない。
その点、関ケ原はあの日あの場所で東西15万が激突したようですから、空前絶後だったのは間違いないでしょう。しかも上杉や伊達は東北で戦ってたし、徳川秀忠や秀康軍、前田軍もカウントに入ってない。毛利や島津は本隊を温存していた上での数字です。

fxc********さん

2020/7/608:38:28

関ヶ原の戦いは、関ヶ原だけで行われていない。同時進行で、北陸でも東北でも九州でも行われている。
日本列島を覆う規模での戦いであり、これは空前絶後。

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