関ヶ原の戦い総大将は誰?

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僕も中学生です。僕の親友は歴史オタクと呼ばれるほど歴史に詳しいので、助かっています。 西軍総大将は毛利秀元です。一般的に石田と言われていますが、それは違います。ちなみに僕の学校の社会の先生も総大将を三成と思っていました。まぁ、それぐらい西軍にとって三成が大きい存在だったということでしょう。 副大将は宇喜多秀家。 関ヶ原の戦いが起きる前に西軍ではまとめ役の秀吉がいないため、権力争いが起きました。秀吉の子供の秀頼もまだ幼いので。 その時、島津達は石田派で、西軍の実権は三成に奪われました。 関ヶ原の戦い前に毛利達などは家康に戦いに参加しないという約束をしてました。 つまり、西軍には団結力がなかったのです。それが敗因の一つだと思います。

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やはり形だけの総大将的なものはありましたが、主な役割としては全体には総大将は毛利輝元。 関ヶ原戦場においては 総大将…毛利秀元(輝元の代わりとして参陣) 副〃…宇喜多秀家 参謀長…石田三成 参謀…安国寺、吉川両名 と考えますが。 毛利秀元は戦況を目の当たりにし果敢に攻め込もうとしましたがやはり前方の吉川軍に足止めされて動けませんでした。広家と家康(確か黒田長政とも)の間に密約ができていました。

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毛利輝元を総大将にしたのはただの飾り見たいなものです。副大将は宇喜多秀家、つまり西軍総大将は毛利輝元ですが 事実上は石田三成と徳川家康の天下取りの戦いです。だってそうでなければ福島正則や黒田長政ら豊臣恩顧の武将が東軍につくのはおかしいでしょう?なので関ヶ原の戦いには、豊臣家は関わっていないと言った方が良いでしょう。 ちなみに関ヶ原の戦いでは南宮山の毛利、吉川は戦いに参加せず、松尾山の小早川秀秋の裏切りによって東軍の大勝に終わり石田三成、小西行長らは六条河原で斬首されました。

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石田三成は西軍の中心で行動し作戦を立案した感じですよ ただ… 徳川家康に対抗するには石田家では味方を集められないので毛利氏に総大将になってもらった感じです。 毛利家の裏切りと言うよりも吉川広家は実は西軍が不利で敗北するのが解っていたので西軍敗北後の毛利家に被害を出さない為に動かなかった感じです。 毛利秀元は吉川軍が前を塞いでいたので動くに動けなかった為に西軍に加勢できませんでした。 毛利輝元は関ヶ原の合戦の時には西軍の総大将として大阪城に在してましたが… 最終的に自分の領土が安泰ならばという感じで大阪を退去しました。 (結果的には領土は半分以下になりましたが…) 簡単に言うと 毛利輝元は裏切りと言うよもやる気がない感じだったということですよ。 ちなみに西軍の副大将は宇喜多秀家です。 (この人は関ヶ原では最前線で戦ってます) 石田三成は西軍の中心として動いて積極的に戦いましたが… 名目上では西軍の総大将でも副大将でもありません。

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石田三成は計画立案者ですが領土が少ないので自分が大将では人が集まらないので毛利輝元を総大将にしました でも輝元は豊臣秀頼を守るためと言って大坂城から出ませんでした 輝元の従兄弟、吉川広家が密かに裏切り輝元に大坂から出ないように丸め込んでました 関ヶ原でも吉川は輝元の代理、毛利秀元の軍の進軍を妨害する位置にいます 戦場では副将の宇喜多秀家が指揮を取り頑張ってます 石田三成は西軍の将の大半が裏切っていることに気付いて無くて空回りしてたんです 計画通りに西軍が戦っていれば結果は違ってたでしょう

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