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旧国鉄と私鉄の相互乗り入れの事例。 公営、営団を除き、国鉄時代から私鉄に乗り入れていた事例はどのくらいありますか?

旧国鉄と私鉄の相互乗り入れの事例。 公営、営団を除き、国鉄時代から私鉄に乗り入れていた事例はどのくらいありますか?

回答(5件)

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定山渓、留萌鉄道、羽幌炭鉱、鹿児島交通などは私鉄側からの乗り入れ。 茨城交通、秩父、富士急、伊豆箱根、大井川などは国鉄からの乗り入れ。 相互の乗り入れってのは思いつかないけれど…。 片乗り入れなら、ほかにもこれだけ思い出しました。

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旅客列車では、非電化路線が大半だった時代から多数、存在しました。 高崎・信越線の季節列車、客車準急「高原」(の一部)が上野~長野間の他,屋代から湯田中まで乗り入れます。長電線内は同社の電気機関車の牽引です、冬季は、長野電鉄内の暖房のため国鉄の暖房車まで付随させます。 後に、準急(急行に昇格)「志賀」となり キハ57、電化して153系、165系と変化します。 島原鉄道は、国鉄乗り入れ用にキハ26と同型を装備し、島原始発で諫早からは長崎本線の準急に併結され博多、門司港へ走っています。 南海電鉄は、南海塗装の客車を用意し難波始発で和歌山市から和歌山線を経て東和歌山へ、そこで紀勢西線の夜行列車に併結され新宮と結んでいました。南海線の中は電車が客車をけん引し、和歌山市からは国鉄のSLけん引です。 湯浅金屋口鉄道のレールバスは、藤並~紀伊湯浅の間は国鉄紀勢西線に乗り入れていました。 既出ですが名古屋鉄道は優等列車用気動車を制作し、鵜沼から高山線の「飛騨古川」,夏シーズンのみ、富山から富山地鉄の立山まで走っていました。 国鉄の急行立山も、一部編成が、富山地鉄の富山~立山に乗り入れていました。 小田急は御殿場線乗り入れ用気動車を制作し、連絡線を経て新松田~御殿場間を定期運行し、電化すると電車となり現在に至っています。 伊豆急行など1964年の開通以来、伊東線や東海道本線との乗り入れを行い今まで続けています。

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長野電鉄に乗り入れ、秩父鉄道に乗り入れ、いずれも急行型「153系か165系」と名鉄から高山本線経由富山地方鉄道乗り入れ、南海電鉄にキハ55が乗り入れ。

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昭和59年2月改正までは、車扱い貨物があったため多数。 狭軌(国鉄在来線と同軌間)の私鉄の殆どで貨車の直通を行っていた。