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明治2年に暗殺された 大村益次郎(村田蔵六)は、襲われた時、風呂桶 に隠れた事になっていますが、事実は 便所の下の 肥桶 に隠れていた というのは本当ですか? それで ばい菌にやられたそ

明治2年に暗殺された 大村益次郎(村田蔵六)は、襲われた時、風呂桶 に隠れた事になっていますが、事実は 便所の下の 肥桶 に隠れていた というのは本当ですか? それで ばい菌にやられたそ うですが? 肥桶 だと外聞が悪いので、関係者が 風呂桶 ということにしたそうですが?

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そもそも益次郎の鳩居堂時代からの教え子で伏見兵学寮教師の安達幸之助らと会食中、元長州藩士の団伸二郎・神代直人…等々8人の刺客に襲われました。 同席していた静間と安達は死亡。益次郎も重症を負って右膝の動脈から骨に達する深手でした。 兇徒が所持していた「斬奸状」では益次郎襲撃の理由が、兵制を中心とした急進的な変革に対する強い反感にあったことが示されています。一命はとりとめましたが、重症で7日に山口蕃邸に移送され、数日間の治療を受けた後、傷口から菌が入り「敗血症」になっています。 9月20日、ボードウィン・緒方惟準らの治療を受けて、大阪の病院(後の国立大阪病院)に転送されています。 10月1日、寺内総理大臣・児玉陸軍大将らによって担架で運ばれ高瀬川の船着き場の近く、で1泊したあと2日に天満八軒屋に到着。 そのまま鈴木町大阪仮病院に入院するも病状は改善せず蘭医のボードウィンによる左大腿部切断術を受けました。しかし手術の勅許を得るのに手間取り、手遅れとなってしまいました。 ようやく10月27日に手術するも翌月の11月1日に敗血症による高熱を発して容態が悪化。5日の夜に死去しました。享年46歳です。 *上記が大体の流れです。肥桶に隠れたという事実はありません。