回答受付が終了しました

五式戦闘機に愛称がつかなかったのは、 戦局が悪化して 相性を考えるどころでは 無くなったからでござろうか?

五式戦闘機に愛称がつかなかったのは、 戦局が悪化して 相性を考えるどころでは 無くなったからでござろうか?

回答(8件)

0

その通りでございます・・・( ^^) _U~~ 当時は負け戦で戦闘機の愛称どころではなかったのです うん、うん貴方は正しいのよww

画像
0

しょせん3式のエンジン換装タイプであって、新規開発ではないからでは むしろこれを「5式」と呼称するほうが特例的であったと思います 零戦の21型と64型とかより差が小さいんじゃないかな?

0

彗星の空冷は彗星だ 三式のエンジン換装だから 飛燕改くらいだろ さてエンジンは99艦爆と同じ火星といってるが 零戦の最後の金星エンジン換装とおなじ 金星エンジンのハ112でっせ 火星と回答した方

0

結論から言うと、公表→愛称の公募をする前に敗戦を迎えただけの話です。 四式も実際に運用して優秀さが判明してから公表し、愛称の決定は半年かけています。 なお、秋水が開発部隊の一士官の歌からとったなどの逸話がありますが。 秋水は開発中の関係者の中の愛称で、正式名称ではありません。 そもそも、五式は俗称で陸軍は何年式として採用してません。 キ100として運用していました。 これは当時の陸軍では珍しいことではありません。 比較として四式(キ84)を紹介すると。 ■部隊編成 1944年3月1日付編成の飛行第22戦隊が最初。 ■採用・量産 1944年4月に制式採用。 それ以前から生産していたのは増加試作と称していたが。ここから量産扱いになる。 ■公開 1944年10月、所沢陸軍にて各報道関係者に初公開された。 ■愛称 公開後に募集をして、1945年(昭和20年)4月11日に各新聞で「疾風」が選ばれたと発表された。 で、五式戦は ■開発指示 基本的に1944年10月1日とされます。 ただし、キ99とキ101の試作指示が1943年7月9日に出されていることから、キ100の番号が15ヶ月も後に使われていることを不可解とする説もあります。 ■制式化 上記の通り、実際には五式としては採用されていません。 1945年2月に生産を制式な物とする指示があったとされるので、戦後に俗称として五式と言われています。 ■部隊運用 3月ごろに生産が増えるに連れ、三式の部隊が転換しています。

エンジン換装した飛燕と言う考え方は、ちょっと調べりゃ違うと判ります。 飛燕Ⅱ型の型式はキ61-II。 エンジン換装してもキ61ですが。 五式はキ100で、別機種として勘定されています。