戦後最大の悲劇、日航123便御巣鷹山事変。 追悼の意味で当時の報道を調べました。 今回驚いたのは生存者4名を発見し深い谷底から文字通り命がけで引き上げたのは地元消防団の方たちなのですね。

戦後最大の悲劇、日航123便御巣鷹山事変。 追悼の意味で当時の報道を調べました。 今回驚いたのは生存者4名を発見し深い谷底から文字通り命がけで引き上げたのは地元消防団の方たちなのですね。 見ていて涙が止まりませんでした。 しかしいくら目を凝らしてもそこに自衛隊員の姿はありません。 何度ビデオを見ても同じです。 これ以上は怖くて書けません。 自衛隊は何のために御巣鷹の尾根へ登ったのですか???

事件、事故 | 日本史309閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">25

ベストアンサー

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1985年8月12日に発生した日航123便墜落事故について、生存者4名は、群馬県上野村消防団及び長野県警機動救助隊に発見されています。 自衛隊は、事故直後に、現場を特定していましたが、長野県御座山等、誤った情報を流すことにより、意図的に救助活動を遅らせ、事故翌朝、午前8時49分、空挺部隊(習志野)が降下するまでの間に、証拠隠滅が図られていたと考えられます。

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その他の回答(12件)

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ミサイルなどの日米の新兵器で撃墜された、というろくでもない話が出ていますが、それに類したことは信じないようにしてください。

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まずは事変の意味を良く調べてから使うことをお勧めする。 まさかとは思うが現実の生活で「御巣鷹山事変」なんて言葉を使っているのか? ただの笑い者だからやめておいた方がよろしいかと。 真剣に「御巣鷹山事変」なんて思っているのならキケンなので家から出ないでください。 お願いします。

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レーダーから機影が消えたので、墜落地点はその周囲を探索すれば容易に判明します。事実米軍横田基地では、管制塔との交信が日本語でされていたので、何事かと驚き、直ぐに落下地点の探索してヘリを飛ばしました。 夜間でもライトがあり、緊急的な救助は可能でした。日米安保条約があり、自衛隊、米軍どちらが救助しても良いので梯子を下ろしました。一応本部に報告と許可は必要です。そうすると後から自衛隊がくるので帰還せよ、との命令が下りたのです。米国軍人はそれに驚き「何だって、もう一度云ってくれ」と確認せざるをえなかった。当然一人でも助けるのが筋です。 地元消防団を始め墜落地点の通報は殺到しましたが、ニュースでは特定されていない、あるいは長野県だとか、の誤報が流されていました。 最初の米軍のヘリの音を聞いた生存者、乗務員さんは必死で手を振りましたが、気づいてくれないのか離れていったとの証言です。まだ多くの生存者の苦しみの声が谷に響いていたそうです。 Mさんは御巣鷹山の尾根での火事をみてニュースもしっていたので、一番乗りを試みバイクで飛んで行かれたのです。ただ山岳地帯なので七時間くらいかかり、明け方四時頃に事故現場に到着しました。 そこでも生存者のうめき声を聞いた。五十名くらいだったと述べています。 既に自衛隊は到着しており、上空ではフェリがホバリングしていました。 ですから「早く助けてあげてください」とお願いしたのですが、「下手に動かせないので後の部隊が駆けつける」との事。 黙々と何かを拾い袋に収納してヘリに送っていたとの話でした。 それで後から部隊が来たようですが、山道には向かないブーツを履いていたそうです。 証言はこのように具体的です。 ただ救助は相当遅れて、四名がなんとか助かりました。現場には医師が既についていて、救助の緊急性を訴えてのヘリの到着でした。 なお、現場付近では異臭がしており、それは航空機に使用しないガソリンと他の混合物の臭いだったそうです。医師が驚いたのは人体で炭化している死体があり、飛行機の燃料の灯油系統では、そこまで焼かれることはない、との事。 炭になるんですから、相当高温で焼かれないとそうならないですね。 人命救助ならとにかく一人でも手が着いた人から助けるのが普通ですわね。 ヘリは人体を振動させないから、病院に早く運べばなんとかなったのでは、そういう疑念も多い。米軍の手を借りても恥ずかしいことじゃない、人命第一ですよ。 それと部品ですか、何を拾っていたのか、定かではない。 でもこれだけは云えます。 要するに疑う人、批判する人が三十五年の歳月を経てもいる。そうなのに 【自衛隊の反論がない】という事です。 法廷闘争も可能なのに、沈思黙考しているところを観ると、云われている通りなのかな、と思うじゃないですか。 機体の一部もまだ海底に残っていますが、放置されています。法的義務は時効もありないのでしょうが、事故防止の調査は続ける必要がありますよ。

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実際には、生存者がいるとわかると、後からぞろぞろ空挺部隊が生存者がいる場所に降りてきます。 尾根の生存者のいない悲惨な現場を何故か任されていたのです。生存者がいると知り、降りてきた隊員は多数、4人を引っ張り出す映像には、隊員が多数います。担架で運ぶシーンは、消防団が中心にはなりましたが。

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当時は災害や事故現場で活動する自衛隊員を撮影しないのが暗黙のルールでした。 被災地の自衛隊がテレビに出るようになったのは、2000年代になってからです。