唐代の官吏の俸禄ですが、州の刺史、司馬の俸禄は、どのくらいだったのか教えて頂きたいと思います。

唐代の官吏の俸禄ですが、州の刺史、司馬の俸禄は、どのくらいだったのか教えて頂きたいと思います。

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州刺史、司馬といった外官の俸給の厄介な点として、裕福な地域とそうでない地域では支給額に差が出る等、中央で勤務した京官とは給与体系が異なる上、実態がよく分かっていない所も多分に含まれているという問題があります。 外官の俸給は、現地の官田や官営高利貸によるアガリから地方財政の経費を差し引いた分が支給されました。従って、俸給に地域差が生じることは制度上避けられません。 こういった理由から、以下に説明する州刺史と司馬の俸給は、全てランクが一番高い上州を基準としたものになります。また、俸給の制度自体じきによって変動があり、ここではとりあえず唐が比較的平和だった時期のものを起点とします。 ・支給基準……散官ではなく職事官の官品に対応。要するに仕事をしていないやつには支給しないという原則。よって上州の刺史は従三品、司馬は従五品の俸給に対応。 ①玄宗・開元年間(713~741) ・月料銭:元々月俸銭・食料銭・雑用銭等様々な名目に分かれていたが、開元年間に月俸として統合。月毎に貨幣・布帛で支給。刺史約6000文、司馬約3000文 ・禄米:季節毎の現物支給。刺史330石、司馬140石 ・色役:唐前半期までは季節毎の徭役の一種だったが、貨幣による代納(資課)が常態化。開元年間以降は月毎の貨幣支給。刺史7917文、司馬4083文 ・職分田:管下の土地から支給。刺史10頃(500畝)、司馬7頃(350畝) ②代宗・大暦年間(766~779) ・月料銭:刺史80貫、司馬50貫。開元年間の10倍以上に上昇しているのは物価高騰に対応するため。武宗の会昌年間にはさらにこの倍額。 ・禄米:支給無し ・色役:存在はしているらしいが、実態不明。 ・職分田:廃止と復活を頻繁に繰り返す上、良質な土地が支給されないため重要度低。 ※時代背景 安史の乱、及び乱後に中央政府に従わない反側藩鎮が出現し、吐蕃も侵攻してくる。財政・物流機構の再編、中央軍の拡張、使職等令外官の増加による官僚機構の膨張で、支出が著しく増大。しかも乱後間もなく、米価が暴騰。俸給の支払いが頻繁に滞るため、青苗銭等の重税で搾り取り、かなり強引に財源を捻出している状況。

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詳しく有り難うございます。 そうしますと、左遷されて江州の司馬になった白居易は、散官の身であたので、実収入は非常に少なかったと考えてよいでしょうか。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

有り難うございました。詳細は返信にて。

お礼日時:8/12 13:54