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2020/9/10 0:10

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何もなければ何も始まらなかったが、そこに何があったから宇宙が始まったと考えていいですか?

何もなければ何も始まらなかったが、そこに何があったから宇宙が始まったと考えていいですか? 砂粒のような小さな「何か」でも連鎖的なゆらぎがあれば宇宙は広がりますか?

天文、宇宙 | 哲学、倫理59閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">500

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ベストアンサー

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私は全ての物質が集まった集合密度の圧縮で行き場を失った物質が、反発で広がった宇宙を考えています。 空間は元からここにあっただけです。 こういう事で回答しているので載せてみます。 太陽(恒星)の構造が今まで誰も考えた事がありません。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14228566269 ところで今の科学では、これからは宇宙が広がりが衰えて来くるのではないかと想像されていました。 しかし宇宙が60億光年からこちらに向かって、若干加速で観測されるようになってから,宇宙はこれからも広がり続けるだけで,縮まって来るような事がないという考えが一般に言われるようになってます。 60億光年からこちらを観測していた科学者のチームが,超新星爆発の状況で距離と加速を判断して,若干加速で見えるという事になったのです。 これは驚くべき発見とされ,空間は将来に渡って広がり続けるとされています。 そしてこの発見の人達はノーベル賞を貰っています。 これは宇宙が空間ごと広がった事で成り立つ話です。 そしてこの加速させているエネルギーが不明とされ,これをダークエネルギーとしてます。 宇宙全体の空間の初めから広がった話と比べると実に小さな力なのに、これをダークエネルギーの性と言って、最初から広がっていた原因は実に当たり前の出来事にしている今の科学の思考は何なのだと思いたくなります。 さて科学では宇宙が60億光年からこちらに向かって若干加速で観測されるようになってからは,宇宙はこれからも広がり続けるだけで,縮まって来るような事がないという考えが一般に言われるようになっている事です。 これがダークエネルギーの性としてます。 ところが私の思考のような物質的な広がりでは,将来集まって来る理由になるのです。 それは全ての物質が集まった時は途方も無い量で圧縮されて,それから縮まった勢いで反発して広がるのです。 この集まった集団はかなりの大きさの球体です。 それで広がる時は回りから銀河群が剥がれるように広がるイメージになり,そして遠のくのです。 この時光を遥かに超す信じられない倍数の速さであっても,段々と衰えて行きます。 そして後から広がっている物は,時が遅れた為に,こちらから見ると未だ加速の方が速い状態で残っています。 これに対して遠くほど,先に起こった状態で加速が衰えて見えます。 それで比べると,あたかもこちらに近い方が加速して見えるのです。 しかし現状では違うことになります。 それでこれから未だ1億年から5億年も経過した後には、近場の方も全体的に速さが衰えて来て、向こうから順繰りに遅くなって観測されると思います。 今は未だ経過状態なので、錯覚して見えるようなものだと考えてます。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

ベリーグッドです! たくさんの回答ありがとうございました

お礼日時:9/24 23:20

その他の回答(7件)

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考えてみました 世の中のすべてのもの、こと、にはその前段がある、原因がある、のが当たり前、ですが、こと宇宙の始まりについては、今のところどんなえらい物理学者にもt=0のことについては、理論が建てられない、みたいで、無理やり立てている学者はいるみたいですが、自民の石破さんみたいに、賛同があまり得られないみたいですね t>0においてはt=10^-40secというオーダー付近については理論が確立しているみたいですが、t=0につなげるところが、何ともならんみたいです といっても私には、t>0における理論もさっぱり理解できませんけど 脱線ですけど、我々の宇宙の上位の宇宙があるとしたら、t<0にも広がり、t=-∞~+∞に広がるのか、と思うと、それはそれで、気が遠くなるような気もします

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「世界はなぜ「ある」のか?: 実存をめぐる科学・哲学的探索」 て本が面白いかも。

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有とは有限、無とは無限。 知覚が先で、物質は後。 何故なら、「知覚でない物質」というものの存在を説明することは不可能だから。物質とは「知覚」であり、それ以前のものではない。「知覚主体」あっての「知覚対象」たる「物質」。 故に、「人生」が先で、「存在」は後。 物質の摂理がどうこうという問題は、人生の感情的な問題と比べると常に重要度が低い。人として生きてこその科学であり、人生の目的を失ってまで考える価値のある物など存在しないから。 生に追われて「目的」を持っているから「有」だと感じるのです。目的が無ければ、生に対する執着が皆無ならば、宇宙が何兆年存在していようが、知覚があろうが、それは「無」と変わりません。 目的があるのは「知るべきこと」があるから。 「知るべきこと」とは「普遍的」な「唯一の真理」のみ。「普遍的」なことならば、そもそも「知る」べき程の事もないと知るまでは、「目的」という旅が続く。そしてまた覚醒へと還る。 忘れているうちは「目的」に追われている様に感じる。だから「有」だと感じる。 真実に覚醒すると、もうこれ以上追うべきものは無いと分かる。だから「無」だと感じる。 覚醒という「無」から、 忘却という「有」が起こり、 忘却という有は再び覚醒という無へと昇華する。 永遠にこの興亡の繰り返し。

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わざわざこんな質問を建てるぐらいだから説明する必要はないだろうけど、宇宙の始まりについて沢山の学者が考えて、ビックバンがあーだこーだ言っていますが、世界があるという事実はあるけれど、ビックバンが起こったという予想はあくまでも予想であってどうやっても実証ができないため、宇宙の始まりは証明できないものというのが、人類の結論のように思います。 それ故に、何かがあったからはじまったとか、そういうたくさんの考え方っていうのはあってもいいと思っています。

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