聖書を書いた人たちは、 その本人が自らの書いている事柄を 神の言葉であると感じて書いたのでしょうか。 (少なくとも書いた本人はそう思ってた?)

聖書を書いた人たちは、 その本人が自らの書いている事柄を 神の言葉であると感じて書いたのでしょうか。 (少なくとも書いた本人はそう思ってた?)

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ベストアンサー

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聖書は神の言葉、というのは権威づけのキャッチコピー。 聖書が作られた目的は、聖典の範囲を限定して異端を排除するため。 聖書に何を足しても何を削除してもいけないというのは、編纂に200年も議論して疲れたから、もうやめにしたいという本音。 聖書に編纂された文書を書いた人間は、聖書というものが将来作られることになることすら知らずに書いていた。(1世紀から2世紀初頭に書かれた文書群から選別して4世紀にやっと聖書が決まった。入らない文書は異端に決まった) 新約聖書の成立について上の事は常識だが、聖書信仰者という、調べ考える頭脳を持たない幼児並のおろか者はキャッチコピーを信じる。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆さん有難うございました。

お礼日時:9/20 1:04

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モーセは「書物に書き残せ…」と言われてます。 エレミヤも「示す事を巻物に…記せ…」と命じられてます。 彼らに語ったのは「神様」です。 神様が、話された事をそのまま書き留めた。 幻をみて、其の情景を言葉にして、仕える者に書き留めさせた。 …の「どちらか」か「両方」で残された様です。 「神の言葉である」との認識は…察するしかありませんが、認識していたものと思います。