無宗教と葬儀について

無宗教と葬儀について 我が家は、無宗教なので、もしもの時にお願いするお寺を探し、費用が安くてお坊さんが葬儀に来てくれる浄土真宗に頼もうと思っています。 皆さんどう思われますか?

葬儀 | 宗教119閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">25

ベストアンサー

0

いっぺん、親戚(特に父方の祖父母や叔父叔母) に聞いてみてください。 たいがいの場合、うちはXX宗、みたいな事は聞けます。 別の宗旨でやる、と云うと揉めると思います。 特にその教えに惹かれるなどないようですので。 無宗教でやる、という方が却って揉めないかも知れません。 費用はどこもさほど変わらないと思います。 自分で見つけなくても、都会の葬儀社に頼めば、 近所の各宗派のお寺を紹介してくれます。 無宗教だが、読経だけする、というコースもあったりします。 これはどういうことかというと、つまり、 戒名をつけない、つまり戒名代がいらない、という事です。 安いそうです。読経の日当のみ。

その他の回答(16件)

0

無宗教なのに、お坊さん呼ぶんですか? 私も亡くなった父も無宗教で、父の時はお坊さん呼んでないですよ。 無宗教なら!家族葬とかもあるし、なんでお坊さんが必要?

0

浄土真宗の教え(念仏宗)は「あなたは今生で救われることはないから、死後阿弥陀仏がいる西方浄土へ往生できることだけを願いなさい」という諦めの教えです。 仏様の教えを誤って継承しているため、故人を成仏させることはできません。

0

無宗教なら、お寺を探すというのは矛盾するでしょ。 葬儀会館に「無宗教なので、坊さん抜き、戒名抜きのコースで。」と依頼するだけです。

0

ID非公開

2020/9/19 8:35

浄土真宗とは親鸞が開いた宗派。 「南無阿弥陀仏」をもととする念仏宗です。 浄土真宗のことを単に「真宗」と称すること多く、 「真宗○○派」など呼ばれます。 浄土真宗=一向宗(いっこうしゅう)です。 歴史的にも有名で、一向一揆(いっこういっき)など武装攻撃をしたりします。 もともと念仏とは何なのでしょうか? 方便(仮の教え、真実に導くための中間の教え)なのです。 釈迦の時代に、釈迦の人間性を嫌って、釈迦を信じなくなってしまった仏教徒に、 西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)に阿弥陀仏(あみだぶつ)という仏様がいるので、そこに生まれれば来世は幸せになれると説きました。 阿弥陀とは釈迦が言ったウソの仏です。 釈迦は仏教の信仰を辞めてほしくなかったために、 架空の仏様が居るとウソをついて仏道修行を続けることを勧めます。 そして、その功徳、そのご利益(りやく)を釈迦が保証したのです。 念仏そのものはウソの教えですが、 釈迦が保証することによって、念仏を信じる者は救われたのです。 しかしながら、 釈迦仏教には期限がありました。 釈迦入滅後、2000年が過ぎたら、釈迦仏教の功徳は無くなります。 それを「末世法滅」(まっせほうめつ)「末法」(まっぽう)と呼ばれたりします。 平安時代の後期に末法の時代になり、釈迦仏教の功徳は滅しました。 西暦でいうと、西暦1052年より末法の時代です。 親鸞という人は、末法以降の僧侶で、 功徳が失われた念仏を日本社会に広めた人です。 親鸞の影響を受けた人は、戦闘的、攻撃的になり、 皆々が無間地獄に堕ちました。 末法の御本仏、日蓮大聖人のもと南無妙法蓮華経のお題目を唱えることで救われます。 末法において「教主釈尊に曰く」といえば、日蓮大聖人のことです。 釈尊の実教は法華経なのです。

0

無宗教とは、信仰する宗教がないことであり、寺と何らかの契約を結ぶことではない(日本は憲法20条で個々人の信教の自由が保障されてる=各人は宗教行為を強制されない(我が家 なんて家単位(江戸時代の寺檀制度の名残り)の言葉使ってるので見識がないと推測させてもらった))。当然、無宗教者が宗教者に葬儀執行頼むなんて変。費用が安いのがいいなら直葬=火葬式(10万前後)。葬儀したいなら無宗教葬の1日葬。 参考①無宗教葬推奨CM:https://m.youtube.com/watch?v=2IW4ajPSfbo 参考②葬儀に寺を呼ぶことが合理的でない理由: a.宗教は危険・胡散臭いという認識や寺への不信感という面からの説明  僧を自称しているのに言行に教義との乖離が大きく職業倫理もなくそれを恥じもしないのが実状であり、そんな人間は信用に値しないので、基本的に寺離れはよいこと。言行の補足:仏教は霊魂(不変不滅の核)に否定的で位牌や墓下の骨に霊魂は宿らない。盆にも否定的。実は、墓地や納骨壇(堂)に骨壺ごと納骨し骨に執着するorさせるのは仏教的ではないが、主に20世紀に洗脳と慣習化が進み、過度に死後ビジネス化した。仏教を伝えるという名目などで行う寺による葬儀執行や回忌法要や戒名や祈祷・供養などもほぼ同様。この傾向は、江戸時代(寺檀制度)や明治時代(妻帯許可により家庭を持ちお金が必要)や高度経済成長期(火葬率上昇と墓地埋葬等の法律改正と豊かな人の増加で墓地や法要や募金に多額のお金を出す人が増加)にみられる。ビジネスするにしても戒名や墓地や納骨檀に数十万円以上要求するなど最低限の節度も守らない。宗教家は、古今東西、平等や平和を謳いながら、権力とズブズブで権力闘争するし戦争を煽ることもある。また、戒(≒一般信者に守って欲しいルール)すら守らず学も修めなくても他人からの批判や罰則が少なく、ピンキリとはいえ非課税 墓地などの特権や宗教的権威を利用した教義に反する過度のお金儲けをしてきた。これほど胡散臭い業種も珍しいし、多くの場合、寺は故人に思い入れないor少ないので異物感がある。 b.喪主や故人側からの説明  故人遺族側に仏教への知識や信仰心はまずなく、葬式仏教と揶揄し生臭坊主や坊主憎けりゃ袈裟まで憎いという嫌悪の表現(例えば宮司 神主さんにはここまでの侮蔑表現はない)さえある寺が腐敗堕落し信仰心や謙虚さや誠実さなどないことに気付き信頼度が低いのに、特に考えなしにor体裁を気にして、過半数が大切なはずの故人の葬儀執行を寺に任せている。明らかに変である。 c.コスト面  平均で40万円?かかる。寺の世話が面倒臭く煩わしい。