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2020/9/21 20:07

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三国志で、関羽の奢り昂りの故、刑州を失ったのは、史実でしょうか。三国志演義で史実と言えるのは全体の何割くらいでしょうか?2世紀頃の事が詳しく残されているとは思えません。詳しい方が居られましたらご教示の

三国志で、関羽の奢り昂りの故、刑州を失ったのは、史実でしょうか。三国志演義で史実と言えるのは全体の何割くらいでしょうか?2世紀頃の事が詳しく残されているとは思えません。詳しい方が居られましたらご教示の ほどお願い申し上げます。

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ベストアンサー

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関羽が荊州を奪われたのは史実ですが、驕りたかぶった結果ではありません。関羽は劉備の漢中攻めに呼応する形で荊州北部を攻め、その隙を孫権配下の呂蒙に突かれて敗北し、捕らわれて殺されました。 一般に知られている三国志の物語は明の初め頃(1400年頃)に成立した『三国志演義』という演義小説(分かりやすい言葉で書かれた時代小説)が元になっていますが、『三国志演義』は3世紀末に書かれた歴史書『三國志』の記述を元に書かれています。『三国志演義』は俗に「七実三虚」と言われており、内容の七割は史実に沿っているが三割は虚構、つまりフィクションであると言われています。 中国は伝統的に歴史事実を歴史書として後世に残すことに熱心で、古くは東周の時代にまとめられた『春秋』から、漢の時代に執筆された『史記』、西晋の時代に記された『三國志』など、多くの歴史書が現代にまで伝わっています。前漢の時代に『史記』が完成して以降、時の王朝が国家公認の歴史書を選定するようになり、それを「正史」と呼びます。正史は『明史』までで全部で二十四あり、総称して「二十四史」と称します。『三國志』もそのひとつです。 『三國志』に関しては、著者は陳寿という人物で、蜀漢に生まれて西晋に仕えた人物です。陳寿の学問の師匠は譙周という人で、この人は劉備や諸葛亮などとも面識のある人物です。そのため、陳寿の『三國志』はかなり正確かつ詳細であると考えられています。特に陳寿は真偽の不確かな話を極力排除して、主観による個人的な感想なども伝の末尾の評以外にはほとんど書き込んでいないので、他の正史と比べても高い評価がされています。後の時代の正史は時の王朝のプロパガンダにも使われて、事実よりも王朝の正当性を示す道具としても使われるようになりますが、陳寿の『三國志』は陳寿個人がライフワークとして執筆し西晋王朝に献上して正史と認められたものなので、事実を曲げて記載した可能性も低いとされています。 ということで、正史『三國志』および『三国志演義』の大筋のストーリーは史実と考えて構いません。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

早速にご回答をいただき心より感謝申し上げます。詳しく教えて頂きとても勉強になりました。中国史を更に勉強させていただきます。本当にありがとうございました。 P.S 驕りの誤字、失礼しましたm(__)m

お礼日時:9/22 7:22