食べ物を粗末にしない食育教育。動植物の命をいただく感謝の考え方は、日本人独特かもしれませんが、私たちの誇りとしてこれからも学校で教えてほしいと思います。皆さんはいかがですか。

食べ物を粗末にしない食育教育。動植物の命をいただく感謝の考え方は、日本人独特かもしれませんが、私たちの誇りとしてこれからも学校で教えてほしいと思います。皆さんはいかがですか。

補足

食肉の流れを子供たちにできるだけ 現場を見せて理解を深める。食べ物を粗末にしない食育。どうでしょう?

日本史 | 宗教28閲覧

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ベストアンサー

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例えば https://matome.naver.jp/odai/2138283501518325701 こういう事か(;゚Д゚)! 中々、思い入れがあると相当にショックだろうなぁ (ましてや小学生)。 「頂きます」が、涙モノだ。 でも、せめて美味しく食べてあげねばって思う…のか? 流石にこりゃ極端な例だろうけど (場合によっては拒食症に?難しいところだ)。 実際、食育ってどういう感じで教えるのだろうか? オレは、そういう教育は受けてないので気にはなります。 しょっぽクン

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございました。

お礼日時:9/27 20:29

その他の回答(4件)

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「今日の食事がいただけることを天のお父様に感謝します」 みたいなお祈りがあります。キリスト教ではよくある食事前のお祈りです。しかし、この食事を作った人がいます。その材料は農家や漁師の人たちの努力によって得られ、様々な流通関係者の手によって届けられます。また、その食事をするためのお金は働き手が得たものです。つまり、私たちの日々の生活は様々な人の活動によって支えられているわけです。神に感謝するよりも、人に感謝すべきではないでしょうか。 三浦綾子氏は「旧約聖書入門(光文社文庫)」の中で、 空には無数の星があり、それらが一つの法則にしたがって運行している(これも造物主のなせる技)、それに比べたら月に行ったと言っても大きな顔は出来ない、と言うようなことを書いています。しかし、人類を月に送ったのはもちろんのこと、三浦氏が言及している宇宙の星々の運行(さらに銀河の構造)を解き明かしたのは人間(科学者たち)です。神も聖書も何も教えてくれず、何の手助けもしてくれません。このことを三浦氏はどう考えているのでしょうか。 何もしてくれない神や聖書を持ち出して、 何かをなし得た人間を不当に低く評価する、 私には非常に傲慢なことのように思えます。

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食べ物を粗末にしないことは 環境や健康にも関わってきます 何も考えず欲望のままに食べるのではなく 食べるという行いに意識的であるべきなのです 茶道というものがありますが ただお茶を飲むだけで あれほど難しい作法があるのは 自分の行いに集中するためなのですね

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たしかにそうですね。 日本人は特に米を神聖化してきました。 稲とは、「命の根」の略語「いね」という説があります。

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