何故、昔の私鉄電車(戦前から戦後2.30年くらいのイメージ)は深緑色の塗装だったのですか?

何故、昔の私鉄電車(戦前から戦後2.30年くらいのイメージ)は深緑色の塗装だったのですか? 東急電鉄、京王電鉄、名古屋鉄道、近畿日本鉄道、京阪電鉄、南海電鉄などが深緑色の車両があったイメージがあります。 これは政府からの色の指定みたいなものがあったんですか?

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「忖度」みたいな感じで一定の流行はありました。 まず当時のわが国の石油工業界の実力が恐ろしく低い。 国産ペンキなど鮮やかな顔料の製造ノウハウが決定的に足りず、映画館の看板などは高価な海外製塗料を効果的に使わねば人目を引かなかった。 大量に使う分野では国産ペンキの中からマシなものを選ぶしかない。 ここで国鉄は初期気動車のブルーなど無茶をして退色に悩まされることになるわけです。 次に木造車の影響がある。木造車は墨染め(黒色)か、あるいはニスの色が多かった。 これに原始的な塗料である鉛丹、つまり錆止めの赤色が鋼製部分に用いられているのが、もっとも古い鉄道車両の色だった。 そこに鋼製電車を投じるとしましょう。新鮮な感じにしたくないですか? ここで判断が分かれ、木造車の延長として濃赤色へと向かう阪急のような路線と、少ない選択肢の中から濃緑色へと向かう名鉄などが出てくるわけです。 緑色というのは初期鋼製電車のシンボルカラーでもあったんですね。 名鉄などはそのうちに木造車も緑色にし始めるわけです。ここは戦後に何もかも全てを赤く染め上げて歴史を繰り返してますね。 新鮮味のある色の流行があるのです。エース級の3400系「いもむし」等は緑の濃淡ツートーンでした。 面白いのは「灰色」で、鉄道車両の採用例が極端に少ない。 どうも海軍が軍艦に塗るために生産量の全てを買い上げ、民間に出回ってないんじゃなかったかと思ってますが・・・。 灰色を作るために結局白い顔料も混ぜて使うわけですけど、戦前は白い顔料が作れなくて生産量に限界があった。 鉄道業界では一等車の帯ぐらいしか使えなかったみたいですね。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

やはり、その時代ごとに流行やお国への忖度があるのですね笑 大変参考になりました!ありがとうございました!

お礼日時:10/2 2:10

その他の回答(3件)

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戦前はそれほどじゃないのでは。私は、関東人なので古いファンの記憶も関東よりになりますが。 東武小豆色。西武と小田急ぶどう色に近い茶色。京急えんじ色。京王艦艇色。東急のみ深い緑と聞きました。 東武の小豆色はもう少しオレンジっぽくなって、亀戸線の古い電車がその色で走ってたのは(1970前後)記憶してますし。えんじ色の京急も見れませんでしたけど旧車でその頃まで残ってたはず。後、小田急は青と黄色、東急は黄色と紺で緑色は230、5000系以降のはず。 関西はよく分りませんが、南海の深緑は伝統色でしょ。模型では京阪の流線型電車青と茶色で、模型屋の特製品で昭和50年前後見た記憶あるから、緑色、からツートンは戦前かな。近鉄は緑とえんじの併用かな ただ京王の艦艇色は、戦争を思い出すから平和らしい色で、明るい緑になったそうですから、京王と、東急青かえるの明るい緑色は、昭和20年の戦後復興の代表色だったのかも。 それから、青色みたいのは、すぐ退色が始まって、客車によくあった艶のないカサカサしたいかにも退色しましたになるけど、染料の関係で緑はモチがよく、退色もカサカサではなく明るい感じになるから、保守は楽な色だと聞いたことがあるから、保守しやすさかな。

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現在のように、車体色をカラフルにしようと言う思想がなかったからで、必要最小限の塗装しかしていませんでした。 現在の考え方で、過去のものを見ても意味はありません。時代背景を考えなければなりません。