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2020/10/10 0:11

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劉邦という人物がいました。 この人個人にはとびぬけた能力はなさそうです。

中国史 | 一般教養131閲覧

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

みなさま、ご回答ありがとうございました。

お礼日時:10/14 8:20

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劉邦のもっともすぐれた点は、知り得た情報の分析や取捨選択の上手さだと思います。 たとえば、三秦を滅ぼして魏へと兵を進めた時、相手の将3人の名前を酈食其から聞いて、彼我の指揮官の差をきちんと把握していました。 以下に引用します。『資治通鑑』の巻9、高帝2年の記事です。 漢王使酈食其往說魏王豹,且召之。豹不聽,曰:「漢王慢而侮人,罵詈諸侯、群臣如罵奴耳,吾不忍復見也。」於是漢王以韓信為左丞相,與灌嬰、曹參俱擊魏。漢王問食其:「魏大將誰也?」對曰:「柏直。」王曰:「是口尚乳臭,安能當韓信!騎將誰也?」曰:「馮敬。」曰:「是秦將馮無擇子也,雖賢,不能當灌嬰。」「步卒將誰也?」曰:「項佗。」曰:「不能當曹參。吾無患矣!」韓信亦問酈生:「魏得無用周叔為大將乎?」酈生曰:「柏直也。」信曰:「豎子耳。」遂進兵。 魏王盛兵蒲板以塞臨晉。信乃益為疑兵,陳船欲渡臨晉,而伏兵從夏陽以木罌流軍,襲安邑。魏王豹驚,引兵迎信。九月,信擊虜豹,傳詣滎陽;悉定魏地,置河東、上黨、太原郡。 長くなりすぎるので、端折りつつ意訳します。 劉邦は酈食其に魏王の魏豹を説得させて召し出そうとしたが、魏豹は聞き入れず、劉邦を貶して従うのはイヤだと言った。そこで劉邦は韓信を左丞相とし、灌嬰、曹参とともに魏を撃たせた。 劉邦:「魏軍の大将はだれか」 酈食其:「柏直です」 劉邦:「そいつはまだ乳臭い子供だから韓信なら安心だな。騎馬隊の将は誰だ」 酈食其:「馮敬です」 劉邦:「そいつは秦の将軍だった馮無択の子だ。賢人ではあるが、灌嬰には及ばない。歩兵隊の将はだれだ」 酈食其:「項佗です」 劉邦:「曹参には及ばんな。何も心配することはないな!」 (しばらく後で) 韓信:「魏は周叔ではなくだれを大将にしたんだ」 酈食其「柏直です」 韓信:「ガキだな」 結局韓信の策により魏豹はとらえられ、魏は平定された。 酈食其が探ってきた人名を聞いて、彼我の将の優劣が分かっているうえに、その分析通り魏を併呑しています。つまり、魏将3人の情報を既に持っていたということです。『孫子』謀攻編の「彼を知り己を知れば百戦危うからず」を実践しているということですね。 他にも、韓信が劉邦の足元を見て「仮の斉王にしてくれたら援軍を出さんでもない」という返事をしてきた時には、怒り狂ってはいましたが張良と陳平の諫めを聞き入れて「正式な斉王にしたるわ!」と韓信の要望以上の待遇をして韓信が敵にまわるのを防いでいますし、息子の劉盈が4人の賢者を引き連れているのを見た時には、愛妾の子ではなく劉盈を後継者にする決断ができています。 つまり、メリットとデメリットを天秤にかけた時、自分の意に沿わないことでも我を通さないんです。 他にも、劉盈と長女を馬車から降ろして逃げようとしたときも、項羽に父親が捕まって殺されそうになったときも、一般的な人情とはかけ離れた行動をしています。私は時々彼を「人格が破綻している」と表現しますが、全て取捨選択の結果だと思っています。 これに対し、項羽は非常識な人間です。鍛錬も学問も途中で投げ出しているうえに、御曹司で育ちがいいので、よくも悪くも「エエトコの坊ちゃん」でした。庶民に近いところで人にもまれて生きていた劉邦の思考範囲の外にある行動をする項羽なので、劉邦は肝心なところで項羽にしてやられています。 また、いくらチート気味の情報分析力や取捨選択の上手さがあったとしても、持っていない情報については分析のしようもないので、そういう場合には失敗しています。 この力があるから、みーさんのおっしゃる通り戦争はうまいし、将の将であると評されたのでしょう。凡人だなんてとんでもないです。

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劉邦に飛びぬけた能力がないと勘違いされている人が多いようですけど、彼は戦争上手ですよ。 韓信彭越を排除した後は、漢で一番の戦争上手になりました。 まあ、冒頓には大負けする程度でしたけど、漢では一番だったのです。 劉邦は、一般庶民だったころから、子分が多く、いろんな人と知り合いで顔が広かったから人間的魅力があったのは間違いないですけど、魅力があったから王朝を起こせたわけではありません。張良に気に入られ、項籍が殺したくなくなるぐらい魅力的であれば、良いだけでした。項籍は戦争上手が好きだったので、項籍に殺されない為には戦争上手であれば、OKでした。 劉邦の知り合いの中には良い加減な性格の劉邦が嫌いな人も沢山いました。しかし、良い加減な性格であるため、使えるものは何でも使いました。責任とか後先とか、あんまり考えずに棟梁になることができました(しょう何が失敗した時のことを考えてに棟梁になるのを嫌がったのと対照的)。 というわけで、劉邦が成功したのは 1良い加減な性格で使えるものは何でも使い、後先考えなかった。 2戦争上手だった。 の二つの理由だと思います。武力で他国を蹂躙し法律を厳格に適用しようとした秦の固くて暗い時代に、良い加減さで勝ちあがったのが劉邦だと思います。

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能力はそれなりにあったと思います。 劉邦の能力を政治80、諜報80、軍事80だったとして、蕭何、張良、韓信に自分の指示通りに動かしていたら誰も60の力さえ出せなかったはずです。 劉邦は自分の考えを伝えるだけで、後は部下たちの判断に任せた事で劉邦の期待以上の成果が出しました。 部下の能力を認めていたからこそ天下を取る事ができたんです。 しかしながら、天下を取った後は信頼から警戒に変わってしまいました。

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よく言われるのは度量の大きさ、気前の良さですね。 細かいことについては気が回らないけど、大局的に情勢を判断する戦略眼は確かなものがあったようです。

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