日本海軍の空母 祥鳳や瑞鳳の搭載機を見ると96艦戦が1942年の珊瑚海戦やミッドウェイ海戦参戦時でも搭載されています。

画像

1人が共感しています

ベストアンサー

2

2人がナイス!しています

ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございます。 生産拡大やパイロットの急速養成、士官の急速養成も開戦時に準備していませんでしたから、日本軍に都合の良い反撃しかされないと思っていたのでしょうね。

お礼日時:10/29 21:23

その他の回答(3件)

0

これはそもそも日本海軍、あるいは日本政府が長期戦を想定していなかったためなのです。これは日本だけでなく、アメリカ軍や、アメリカ政府でも同じです。 山本五十六連合艦隊司令長官は、 「半年や1年は暴れるが、2年目、3年目はたぶん無理」 と近衛文麿首相に説明し、短期決戦の速戦即決、早期講和でしか日本の勝ち目はないと考えていました。 最初の計画では、真珠湾攻撃でアメリカ空母も一緒に沈める予定であったのです。 また同様に、アメリカ海軍も長期戦は想定せず、日本海海戦や、ジュットランド沖海戦のような洋上決戦で戦争の勝敗を決める予定でした。 そもそも戦艦を主力とした艦隊というのは長期戦は想定していないのです。 イギリス海軍東洋艦隊も、プリンスオブウェールズとレパルスで一気に決着をつける予定であったのです。ドイツの戦艦ビスマルクは最初の出撃で沈みました。 海軍の航空機というのは、そもそも補助兵力であって、主力ではないという前提であったのです。 アメリカが長期戦を想定して大量生産を始めるのは、真珠湾攻撃後であり、それ以前は自国向けではなくレンドリース、イギリスソ連向けの輸出用であったのです。 アメリカが大量生産を始めるのは真珠湾攻撃で大損害を受けてからで、日本が大量生産を始めるのはミッドウェイ沖海戦で大損害を受けてからです。 そもそも日本海軍も、アメリカ海軍も、イギリス海軍も、自分たちが大損害を受けることは想定していなかったのです。 日本海軍は第一次世界大戦でドイツと戦っていますが、ドイツ東洋艦隊は一年持たずに壊滅しました。むしろその方が普通なのです。 フォークランド紛争も数か月で終わりましたが、普通はそうなのです。 日独伊三国同盟の前提では、ドイツとイタリアはイギリスやソ連にすぐに勝ってるという予定だったのです。 アメリカにしても、開戦後ので一年で、空母を5隻も沈められるというのはまったく予定外だったのです。日本もミッドウェイで空母を4隻沈められるのはまったく予定外でした。

アメリカのオレンジ計画では 艦隊決戦は行わずに優位な艦隊勢力を元に島伝いに占領して日本に迫ると言う長期戦を計画していたので、日本が対抗出来ない生産能力で日本を戦力で圧倒するまでは鍔迫り合いをして時間を稼ぐというのが計画でしたから、緒戦の被害は予想外でしたでしょうが、生産能力をフル稼働して日本を圧倒する事はすでに予定路線でその通りに進みました。 日本が以外とヘボでミッドウェイで大敗して、更にレーダーを物に出来ていない、暗号が筒抜けなのに気が付かない等の失態により、より速く反撃が可能になっただけだと思います。 日本が短期決戦を望んでもアメリカはアメリカが勝てる方法でゆっくりと攻め込まれたように思います。

1

機種転換にふつうは半年かかります 車みたいに生産開始したらすぐに皆乗って翌日から前線で命かけて戦えるってわけじゃありませんよ?昔の乗り物ってのは人間工学とか共通規格とか配慮が乏しいので、レバー引いたら上がる機体と下げたら上がる機体が混在とかもしてますし、スイッチやペダルの形状、位置も大半違うのに、その数が膨大で自動化なんかされてないから機種転換には時間がかかります 低率で生産ライン動かしてみて、実戦部隊に供給して致命的な欠陥がないかとか実働データ取りながら正規量産型モデルを開発し、その後やっと戦時体制に沿って資源や量産計画が立つのです

1人がナイス!しています

それをやらなかったらどうなるかといえば、戦時中の大半の主に枢軸側の兵器に見られる、初期不良や品質低下による稼働率低下、スペック未達の量産品が生産され、パイロットは新しい機体の性能を引き出すほど慣れないまま戦場に出て「スペックは悪くないのに実戦で成果出せない」「未熟なパイロットにより能力を発揮できない」などという酷評を受けることになるのです

0

戦争となると軍需品の消耗は激化します。戦時統制は昭和14年にはじまっていますが、要するに生産力が足りないのです。 日中戦争の頃、既に生産はギリギリでしたから、太平洋戦争が加わり破綻します。 それと、工業力が今の日本からは想像できないほどに貧弱で、ほぼ家内制手工業で部品をつくっていますから、精密な兵器になる程、検品不合格が増えていきます。開戦を意識して三菱は月産12機のラインをもう一つ増やすのがやっとで、さらに工場を増設してようやくのことで60機に増やしていますが、当時の最優先は陸攻生産でした。 アメリカなら半年で月産300機にできたでしょう。 多品種少量生産型の社会はすぐには大量生産型に移行できません。それでも生産ラインを補うため中島飛行機も全力で零戦を作りましたが、主力の他の飛行機生産もしなければならず、相当苦労していたようです。 パイロットの習熟や機体重量の関係もあり、1942年前半までは96戦は第二戦空母の飛行隊定数に入っていました。 また、自然損耗というのがあります。 南方では錆びて損壊するのです。機体の防錆材質の悪さやラッカー不良ですが、零戦で20%.一式陸攻に至っては50%が自然損耗です。そのため南方では実戦に使える飛行機が常に定数を下回りました。