どうも笠地蔵の昔話が納得出来ません。

どうも笠地蔵の昔話が納得出来ません。 今日たまたま職場の昼休に、子供がいる方が昔話の笠地蔵の話を紙芝居で子供たちにするって言ってたんですが、 あの話は、なんかイケ好かないですよね、、、 お地蔵さまも、『自分によくしてくれた』から、その人間にだけに利益誘導するみたいなイメージだし、 帰り際に『俺たちだよ!分かるか?』みたいに、わざわざ分かるようにして帰るし、 何より金銀財宝や米俵は何処の誰から持ってきたのか分からないし、 いきなりカネ持ちになれば疑われるし、生活や性格が変わるかもしれないし、 なんか幼稚園の時から違和感ありありでキライだったんですよね。。 そんなに良い昔話なんでしょうか?

補足

皆さん、ありがとうございます。 わたし、正直にいうと、 自分は物凄く差別主義者で、底意地が悪くて、ズルくて嘘つきで、人の不幸が大好きなんです。 そして、世の中の人は全員、 自分よりもっと差別主義者で、底意地が悪くて、ズルくて嘘つきで、人の不幸が大好きだと信じてます。

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ベストアンサー

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同じ絵柄が、見る人の認識の仕方で、 老婆に見えたり若い女性に見えたりするのがあるでしょう。 この童話は、あれと同じですね。 この話が利益誘導のいけ好かない話に感じられるのは、 あなたの心が最後の金銀財宝米俵というご利益にとらわれてるからです。 この童話は、たんなる童話なんですが、読む人の心の状態を 映す鏡になってるんだと思います。 まず、人間に対する認識が、 「人間なんて欲まみれで、自分によくしてくれる人間には 良い顔するけど、得にならない相手は無視するんだよ。」 と思っているから、 「お地蔵さまも自分によくしてくれたから利益誘導したんだろう。 所詮、誰しも自分の得になることしかしないから、 『俺がご利益やったんだよ。』と自己アピールしてんじゃないの。 だいたい、そんな金銀財宝どこから持ってきたんだよ。 盗んだと思われるかもしれないじゃないか。 人間なんか欲まみれで妬みまくりなんだから、 そんな急に金持ちになったら、周りからねたまれるだろうが。 どうすんだよ。」 そういう思考パターンに陥っているんでしょう。 おそらく、あなたが子供のころ、 周囲の大人がそういう価値観の人ばかりで、 あなたの幼い心がスレてしまったんだろうと思います。 だから、童話でさえ金銀財宝という欲得ずくの 結果ありきのモノの見方しかできなくなっているんでしょう。 別の思考パターンを持つ人はどう感じるか書いてみましょう。 お地蔵さんが雪をかぶって立っている。 それはただの石の塊なんだけど、お地蔵さんと思うと 何となくわびしい年の瀬の雪の降る中に 立ち尽くしているのが可哀そうに思えてくる。 おじいさん自身も裕福なわけじゃないし、 売れ残りの傘でも、取っておいて年明けに売りに行けば その分、儲けになるかもしれない。 けど、それより、かわいそうなお地蔵さんに 傘をかけて上げたいなという優しい気持ちが勝る。 後からご利益があるなんて思いもしないで、 ただ優しい気持ちから傘をかけて上げる。 優しい大人に素直に育てられた子供は、 おなじようにお地蔵さんを可哀そうと思い、 お爺さんのやさしさに素直に共感するでしょう。 あなたは、もしかすると、 雪の中のお地蔵さんが可哀そうという発想が そもそも無いのか、あっても弱いのかもしれませんね。 お地蔵さんも、自分が損するとしても 可哀そうなお地蔵さんに何かをしてあげたいという おじいさんの温かい人柄に感動して、 お返しに何かしてあげたいと思う。 お互いがお互いの為に何かしてあげたいと思う、 そういう優しい世界がそこに展開されてます。 これがあなたには利益誘導という 醜い世界に見えているんです。 同じ童話が、私には優しい世界に見えて、 貴方には醜い世界に見える。 怖いことだとは思いませんか。 そして、童話ですし優しい世界ですから、 金銀財宝がどこから来たかとか、 周囲にねたまれたらどうすんだとか、 そんな細かい考証なんかしません。 それを考えるのは、それだけ、 考える人の心がスレてるということです。 これ、神仏とかご利益に限った話ではないんですよ。 結局は、人間同士も同じことです。 最近、災害時に日本人は暴動も起こさず 犯罪も少なく、規律正しいということが言われます。 日本に旅行に来た外国人が ホスピタリティに感動するとも言われています。 その根本にあるのは、この傘地蔵のおじいさんと同じ、 少々自分が損しても、困ってる人の為に 何かしてあげたいなという気持ちだと思います。 全国から集まる災害ボランティアも同じ気持ちでしょう。 そういう優しい気持ちの国民が集まってできた日本は こんなに栄えて、結果的に、国民一人一人が 金銀財宝のご利益をもらってるのと同じになっています。 神様拝んだら入金があったとか良縁が結ばれたとか、 そういうのもあるでしょうが、 神仏のご利益って、そんな即物的なものだけでなく、 こういうより大きなものもあるんじゃないでしょうか。 空気や水のありがたみのように、 大きなご利益ほど認識しずらいのだと思います。 生き馬の目を抜くビジネス界を生き抜くには、 傘地蔵のお爺さんでは無理だから、 大人になるにつれ、だんだん心がスレて来るのも 仕方のないことですが、 子供のころからそうだったというのは、 周囲のおとなに恵まれなかったんだと思うと 可哀そうになります。 人によっては、それを人の裏がわかってるから賢い という人もあるでしょうが、それは賢い人ではなく、 寂しい人だと私は思っています。 よく、純文学なんかで露悪的な作品を、 人の心に潜む闇を暴く名作みたいに祭り上げることがありますが、 そういうのをみると、私は逆にアホかいなと思います。 人の心に欲も闇もあるのは当たり前で、 当たり前のことを書いて何が面白いの? それに負けないように努力するのが 尊いんだろうと思うからです。 それと、信仰を持ってる人でも、 あなたが思っているように、後から金銀財宝を得るために、 優しさからではなく欲から傘を差しだすような人もいます。 それは正しい信仰ではないです。 正しい信仰というのは、人は神仏と周りの人の為に、 神仏は人々の為に、お互いがお互いの為にという 優しい世界であるべきです。 人間には欲がありますから実際には難しいですし、 欲と優しさが不可分に混り合っているのが現実の姿でしょうが、 理想は理想として捨てずに心がけるべきものだと思います。

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雪の中のお地蔵さんが可哀そうというところに意識が行くか、 金銀財宝の利益をもらったというところに意識が行くかで、 この話の印象はガラッと変わると思います。 そもそも雪の中のお地蔵さんが可哀そうという感性がなければ、 この話に共感するのは無理でしょう。

その他の回答(5件)

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元の話はもっと地味なものだと思います。 後世の人がどんどん話を盛ったのでしょう。

ちなみに僕もお地蔵様を信仰しているので、ご利益として 物を届けてもらったことがあります。 昨年、実家に引っ越ししたら、実家の畑に小さな石のお地蔵様が 置いてありました。仏壇に移して毎日拝んでいます。

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こんにちは。「tyran」です。 「物語」には、フィクション、ノンフィクションであろうと必ずどこかに「根拠:元の話」があって、それが時間と共に様々な要素が「肉付け」されて伝わって行くものです。 (話の元になる出来事が何かあった) 私は、物語には「比喩」「教訓」が含まれていると思います。 例えば、現代において趣味であれ「笠」を自宅で作って、町内にある「お地蔵様」(6体の六地蔵様)に「笠」をかぶせて信心されてたとします。 年末の暮れに「お金」が色々な事情で出金してしまい、豊かで「よいお正月」を迎えられないと思われた時に、「玄関」に、正体不明の6人の男達が「現金」や「宝石・米俵」を置いて行くでしょうか? さすがに、それは無いですよね。 でも、「神仏」に対する功徳は何らかの形で返って来るものです。 「雨」が降りそうでも、家にたどり着いてから「雨」が降るとか、逆に、家を出ようとした時に「雨」が降りだして「傘」を持って出かけられたとか、不思議な「ご利益」があったりするわけです。 銀行が「融資」してくれるようになるとか、「宝くじ」が当たるとか、そういう奇跡も有り得ることです!つまり、返って来る「かたち」は様々でも「功徳が自分に返って来る」ことは確かです。 「因果応報」「自業自得」は仏教用語ですが、「カルマの法則:業の法則」は、物理学の「作用反作用の法則」に値します。 ある方向に力を作用すれば同じだけの力が反作用として返って来る。「エネルギー」は、出力された方向に跳ね返って戻って来ます。「いってきます」「ただいまぁ」となる。 それは「人間の行い」にも通じる。 「善行」は「善行」で返って来て「悪行」は「悪行」で返って来ます。 「作用反作用」は「物理学の法則」でもありますから「神仏・信仰」に限りません! 「神社」で参拝させていただいて「お賽銭」に千円札を賽銭箱に入れて日頃の感謝をして、その後、千円分「得」する出来事があったりします!「神仏」に取りっぱなしはなく、必ず何らかの「かたち」で返って来ます。 お知らせもあります。 私自身「打出の小槌」の形をした「雲」を見て、その30分後に、約3万円の現金を手にしたこともありますが、「天」はよく見ておられます。 基本的に、「人間に損をさせよう」と思う「神仏」はおりません! 「幸福にしてあげよう・豊かに暮らせるようにしてあげよう」と思ってるものなのです。だから、日頃から「感謝」を忘れずに、アンテナをはって「幸運の知らせ」に気付くようにされると良いと思います。 「天」は人間の心を見ております。 以上です。 ここまで読んでいただいて誠にありがとうございました。

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古くからの日本人特有の宗教観を現した妄想ファンタジーだと思います 今の年寄りなどは何でも手を合わせたり拝んだりしますよね あれは何か良いことがあるとか漠然と神様を想定し自己保存的な計算から良い行いしてるふりの偽善行為なのです 結果として、御利益祈願の間違った宗教が乱立し、くだらない他力依存症のカルト莫迦が量産されました 不可知なる未知の領域に理解が及ばず平伏すという奴隷根性と何でも神様にお願いすればいいという責任転嫁の堕落した精神構造 そうした間違い自体に気づかずに思考停止したまま一生を無駄に過ごす者も少なくない 貴方が幼稚園時代にそれに気づいたのは頭がいい 私は幼稚園時代にこの世界が変だと気付いてました 大人は間違った事を平気で言い放つし、世の中が間違いだらけではないかと直感していました それが気のせいではないと知るにはさほど時間はかかりませんでした

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確かに、言われてみればその通りですね。 私自身は今まで良い物語として、記憶の片隅に置いていました。 それをあなたは幼少期の頃から疑問に感じていたとは(笑) かしこすぎる! そんなわけで、賢い人は賢いなりに納得のいく理屈を付けてみたらどうですか? 例えば... ・お爺さんは好意で売り物の傘を寄贈した。これは素晴らしい事。 ・地蔵は地蔵で、お返しは義務であると解釈した。これも素晴らしい。 ・出所不明の金品であっても、自分達で保持せず、他人に譲渡する行為は賞賛に値する。 ・感謝を込めた礼儀によるお返しなので、身分を明かすのは当然。 ・金品を受領した、お爺さんお婆さんのその後の振舞いについては、我々傍観者(読者)が、とやかく言う資格などない。 こんな所ですかね。 あなたの優秀な頭脳なら、発想の転換次第で物語をキライからスキに変える事が出来るでしょう。

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私はお寺の幼稚園のお遊戯会で、 笠地蔵の役で人気者になったんだよ。 幼少の頃より落ち着きがなく、 観客に向かってピ―スサインやらV サインをして大爆笑させた。 まったく違う物語になってしまい、 お婆さん役の女の子が泣き出してしまった。 それが更に爆笑を呼び、その日から私は、踊るお地蔵さんと呼ばれるようになった。 良い話しではないか。 笑

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