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2020/10/26 13:15

44回答

魏の屯田制とそれまでの制度の違いはなんですか?

補足

それまでの土地制度がどのようなものかわからないのですが、魏以前も農民から兵士を徴発することが行われていたらしいですし、ともすればこれは屯田制には当たらないのですか?

中国史 | 世界史26閲覧

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございます!凄くわかりやすかったです!

お礼日時:10/27 11:59

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屯田制というのは、兵士が田んぼを耕していることをいいます。 農民が徴兵されるのとは逆ですね。 常勤の兵士が非戦時に任務として農事をやっている、と思えばよいかと。 で、まあ、漢王朝の時代の屯田制は、辺境地域、常時、兵士を配備していなくてはいけない地域で行われました。 漢王朝は基本的に軍隊は限定的で、必要に応じて徴兵するのが基本だったのです。 で、曹操は、それを全国規模でやるようになります。 後漢末の戦乱で、全国的に農地が荒廃し、また、戦災を逃れるために土地をすてて流民になるような人が多く出てきました。 195頃、曹操は呂布と兗州をめぐって戦いを繰り広げますが、この年は大飢饉の年で、両軍、兵糧の確保に苦しみました。 そこで、曹操は農地を棄てた流民に土地をあてがって耕作させました。 兵士が行う屯田を軍屯といい、こうした平民が行う屯田を民屯といいます。 屯田制に組み込まれた人々は、いわば、公務で農事を行うため、その収穫の多くは国に納められました。言ってみれば国が小作人を雇っているようなもんで、とても高い税率でした。 後漢時代の税率はもろもろ合わせて、おそらく10%かそこらくらいで、20%を超える感じじゃないっぽいです。 まあ、後漢時代は豪族の時代で、大地主が主な課税対象でした。ようするに実際の農民にしたら中間搾取があった、と見るべきではあります。 で、まあ、屯田制は、戦時特別税制みたいなもんで、蜀が滅亡して西晋が成立したころから徐々に撤廃され、占田・課田制へと移行していくのですが、この制度が未だにようわからん。 おそらく占田=非課税の私有田、課田=課税対象の国有田、ということなのだとは思います。 まあ、いずれにせよ、後漢以前の豪族(大地主)が所有する土地に課税していた時代から、後漢末の混乱期に土地の国有化が進み、後の時代の均田制に繋がっていくわけです。曹操の時代は土地の国有化の過渡期、という感じじゃないかと思います。 まあ、均田制の時代にも大地主はやはり存在してますけどね。

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魏以前の中国の土地制度は封建制・郡県制・郡国制などです。 屯田制との大きな違いは 『平時から徴兵を行うか(屯田制)、戦時に徴兵を行うか(その他)』です

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曹操が始めた屯田と、魏が成立してからの屯田との違いということですか?

僕は、曹操が中国史上初めて屯田を敷いた権力者だと、三好徹氏の興亡三国志を読んで認識していたのですが、Wikipediaによれば、前漢武帝の頃には既に確認されているようです。 それから鑑みるに、日本の戦国時代とほぼ同じ状況だと予想します。 三好徹氏の本によれば、曹操の頃(まだ後漢が滅亡する前)は、まだ一地方権力者であり、袁紹らと連合軍を組んで董卓討伐に臨んでいた頃の話で、おそらくキチンとした区画整理もせず、ただ農民の農作業を手伝うところから始まったふしがあります。もちろん、おいおい開墾から始めたとは思います。手伝うだけでは人手過剰ですからね。 それよりも、武帝の頃にはすでに国境周辺に軍を配備し、平時は農耕、戦時は戦闘、という後に続くまさに屯田がなされていたとのことですから、あえて魏の前後で区切ることはないと思います。 前漢の時点で、秦よりも盤石な統一政権が成り立っていますし。