鳥羽伏見の戦いの2つの疑問ですが、

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございました。

お礼日時:10/31 8:20

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幕府軍と言っても朝廷を敬っていないわけではないのです。 幕府軍は薩長連合と戦って懲らしめるために出陣したのです。 慶喜が敵前逃亡をしたと思って居る人が多いですが, 勤皇思想で有名な水戸藩の教育を受けた慶喜は薩長連合軍と戦うつもりで来ただけです。 朝廷と事を構えたくなかったので大阪城に言ったようです。 会津は時代の渦に巻き込まれてしまったので、朝敵にはなりたくなかったはずです。 錦の御旗を持ち出した作戦勝ちです。

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あの場合の錦の御旗は、勝てば官軍という印に過ぎず、効果抜群というわけではないでしょう。 会津兵は慶喜の逃亡に宗家の滅亡を悟ったでしょう、それだけに会津藩こそ頑張らなければという思いがあったでしょう。

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効果ない筈。 1000年以上作られていない。岩倉具視と木戸孝允が適当に作った。太政大臣、摂政、天皇知らないので、完璧な偽旗。 徳川側が知る筈ない。 会津藩も守旧派と改革派いるので、なにしてもイチャモン付けられる。

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錦の御旗は史実のようですね。 ただ「偽物の御旗」だったようですが。。。 将軍に対して、会津・桑名両藩将兵は、 「逃げるなら一人で逃げろよな!俺たちの藩主まで連れて行くな!」 ・・・と思ったでしょうね。

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そもそも、下々の者は誰も知らないはずです。 前例があるにはあるけど、承久の乱とかなので、約650年ほど昔の事なので誰一人見た者はいません。学者の説に従ってまあこんなもんだろ!と拵えました。 しかし元から戦意のない慶喜には逃げる為の、日和見してた御親藩・譜代藩には官軍に付く口実を与えました。 錦の御旗が上がったからと言って一々官軍に味方しなければならないルールがあるとすれば、承久の乱や後醍醐天皇の敗北はありません。 親藩・譜代藩が徳川宗家に逆らって薩長に味方するとすればただの謀反です。 要するに鳥羽・伏見の戦いで旗色の良い方に靡く口実でしかありません。

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