回答受付が終了しました

お寺が並んでいる理由について知りたいです。

地学 | 日本史48閲覧

1人が共感しています

回答(9件)

0

それ、大学で習ったような気がするなあ・・・・・・・・・・・。 確か、 ・港では、昔は風が動力だったので、よく海難事故が発生した。そこで、船から灯明が見えるように、高いところへ建設した。安全祈願の意味と、災害のときに、今で言う避難所の役割があった。 ・港町ではそういう意味があったが、都市では、幕府とか、城主には、敵方に攻めにくいように、街路を複雑にした。人通りの多い街にすれば、武装した武士は、軍を進めることができない。 また、そうした寺町には街路を監視する小部屋が設置されていて、人通りを見ていた。一種の、出城だった。 ・・・・・・・ 資料や、講義資料は、今何処にあるでしょうか?

2

港町だけではなく、城下町でも良く見られます。お寺を1つの地区にまとめる事によって防火とお城の防衛機能を備える様になってます。加賀前田家の金沢は常に江戸幕府の目が有ったので 金沢城から地下通路で結ばれてるお寺が有り、そのお寺は忍者屋敷ほどでは無いけと様様がからくりが有り一般人でも見学が有りますか。武家政権の時代はお寺は防衛拠点や武将同士の会談場所や宿舎や最後の場所としてよく使われてました。

2人がナイス!しています

2

1. 港町に限らず、お寺が多く並んで密集しているところは多いです。 寺院勢力の強さを身をもって知っていた秀吉は、各地の寺院を移転させた上で小さいままにしました。 宗教勢力を再び台頭させたくないが、統治には利用したいと考え、分断を図ったのです、江戸時代もその政策がされたので各地に寺町が存在します。 2. お寺が並んでいることは、港町で立地してるのと関係ありません、他の陸地城下町が多いです。

2人がナイス!しています

0

港湾都市は諸国の人がやってくるターミナルシティだ。 当然宗派も様々な人がやってくるし、住み着くことにもなる。 また、そのエリアは、日本海側の新潟東部から秋田で、江戸時代に都市計画に基づいて区画整理された。日本海側の代表都市の新潟については江戸時代に天領として発展した港湾都市だが、当時は、今と違って信濃川・阿賀野川が河口で合流しているなど地形も違っていた。河川工事や埋め立てなど、江戸と同じく人工都市みたいな側面もあったので、一層のこと区画整理しやしかったのだろう。 それで、大宗派の支所的な小さなお寺がたくさん並ぶエリアを造ったのだろう。

1

寺院が並ぶのは、 平地が少ないので、どうしても墓を建てる上で、 密集してしまいがち・・という事と、 寺院は「軍事拠点」として利用される事が多く、 寺院を密集させることで、城郭の代わりをしていました。 こちらの理由の方が、大きかったでしょうね(^▽^)/

1人がナイス!しています