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2020/11/17 22:54

77回答

日本は奈良時代から他民族国家だと思いますが、百済、新羅、高句麗の帰化族の子孫は日本人の何パーセントくらいいると思いますか?

世界史 | 日本史190閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">50

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

ちょっと朝鮮半島に親近感が湧いて嬉しかったのですが……皆さんカムサハムニダ!

お礼日時:2020/11/23 15:12

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回答を述べるなら「遺伝的」には「0」となります。 まず、「日本人(大和民族)」は、すべて「縄文人」と「渡来系弥生人」との混血民族です。 ↓国立遺伝学研究所(2016年9月1日) https://www.nig.ac.jp/nig/ja/2016/09/research-highlights_ja/20160901.html ↓「総合研究大学院大学のプレスリリース(2016年9月1日)」 https://news.mynavi.jp/article/20160901-a074/ しかし、片方の祖先である「渡来系弥生人(今から約3000年前)」は朝鮮半島から来たのではないようです。 日本列島人が、初めて、朝鮮半島にちょっかいをかけたのは、百済などが国として成立したころ、今から約2000年前です。それまでは、日本列島人は、朝鮮半島に行かなかったし、朝鮮半島から人もこなかった。 弥生時代の開始は、今から3000年前(BC10世紀)に変更されており、今から3000年前(BC10世紀)に、九州北部で本格的にはじまった水田稲作が「九州北部---->関東」を結ぶ線上を、約800年かかって、ゆっくりと拡大東漸していったことが判明しています。 ↓総合研究大学院大学、文化科学研究科で公開している資料です。 ↓弥生時代の開始年代(総合研究大学院大学、文化科学研究科) http://www.initiative.soken.ac.jp/journal_bunka/050509_fujio/thesis_fujio.pdf ↓社会科教科書「帝国書院」より https://www.teikokushoin.co.jp/q_and_a/history/#q2 Q2:縄文時代と弥生時代の区分はいつ頃ですか。 A2:教科書p.23では弥生時代を、紀元前3世紀ごろから紀元3世紀ごろまでの600年間としています。その一方で、この記述に注釈をつけて、弥生時代のはじまりを紀元前10世紀とする新しい研究成果も紹介しています。 これまで通説となっていた、「弥生時代のはじまり=紀元前300年」は、1960年代に、土器編年(土器を各地域ごと、各型式ごとに前後関係に分類・整理し、年代順に配列すること)や遺跡から出土した中国の青銅器をもとに割りだされた年代に、弥生前期のコメや貝を炭素14年代法(遺物の中の炭素の放射性同位体である炭素14の量から年代を推定する方法)で測定したデータ結果を加味して出された説でした。 2002年、弥生時代のはじまりを紀元前10世紀ごろであると発表したのは、国立歴史民俗博物館(以下、歴博)です。歴博は最新のAMS?炭素14年代法などによって測定した結果、九州北部の弥生時代遺跡から出土した、土器に付着する炭化物(コメのおこげ)や木杭は、紀元前900~800年のものであり、紀元前10世紀後半に九州北部で本格的にはじまった水田稲作が、約800年かかって日本列島を東漸したとの説を展開しました。 水田稲作が九州北部から各地に広がるのに要した年月は、例えば瀬戸内海西部地域までで約200年、摂津・河内までで300年、奈良盆地までで400年、中部地方には500年、南関東には600~700年、東北北部には500年であると推定されますが、水田稲作が、きわめてゆっくりと各地に広がっていったことが、ここから分かります。 こうしてみますと、従来のように「弥生時代のはじまり=紀元前300年」などと、ある一点で区分すること自体、無理があると思われますが、教科書本文では、通説に従った紀元前300年と記述し、注釈で紀元前10世紀という説を示しました。これは現時点では様々な議論があり、また地域によって差があることを踏まえた記述であることを、ご理解いただきたいと考えております。 ----------------------------------------- ↑ここまではいいですか? ↓さて、最新情報です。 ----3000年前------------2000年前------------------現在 -------+---------------------+-------------------------- --中国南部のハツカネズミ--><---朝鮮半島ハツカネズミ---> ........▲..........................▲......................... ..渡来系弥生人.............歴史時代 ..の渡来(3000年前)......朝鮮半島との接触 ................................は周知の事実 ↓北海道大学プレスリリース(2017年8月14日最新報道発表) http://www.hokudai.ac.jp/news/170814pr_su.pdf ↑日本産の野生ハツカネズミが,先史時代の農業の歴史的展開とともに中国南部からは約4000年前、朝鮮半島からは約2000年前に、それぞれ渡来したことが判明。 ↑上記2系統以外に,さらに古い時代(おそらく縄文人)に移入した系統が存在する可能性も指摘。 ↑図2の説明、 遺伝的解析に基づき想定された主要2亜種系統の日本列島への移入。過去の研究成果もふまえ、日本列島への野生ハツカネズミは以下のような流れで移入・展開したと考えられる。 (1)南アジア亜種系統はインドに起源地を持ち、約8000年前に放散。その後、 (2)中国南部に移入した系統が珠江流域において4000年前に放散し、日本列島及び南サハリンまで波及した。 (3)北ユーラシア亜種系統は朝鮮半島にとどまっていた系統がおよそ2000年前に放散現象を起こし、日本列島に九州経由で移入した。移入後しばらく時間が経過した後(例えば1000年前)、北ユーラシア亜種系統は東北及び北海道に南アジア系統と交雑しながら北方移動した。 -------------------------------------------- 【わかったこと】 中国、朝鮮を含めて、歴史時代に突入したのは、今から約2000年です。つまり、今から約2000年前より後は、日本列島と朝鮮半島と接触とか「いざこざ」があったのは、周知の事実です。 渡来系弥生人が日本列島へ渡来したのは、今から約3000年前です。 しかし、今から約2000年前より前は、日本列島と朝鮮半島とは、接触が、全く無かった模様です。 つまり、今から約2000年前より前には、朝鮮半島由来の野生ハツカネズミは日本列島には存在しない、これは「渡来系弥生人」が、朝鮮半島から来たのではないばかりか、朝鮮半島を「経由」すらしなかったということになります。 また、もう有名な話ですが、 2200年前の弥生米(大阪の池上曽根遺跡や奈良の唐古・鍵遺跡)のDNAを分析した結果、朝鮮半島には存在しない中国固有種が含まれていることが判明している。 ↓中国から日本へ稲作が直接伝来した裏付けとなる「RM1-b 遺伝子の分布と伝播」、日本の各所に点在するRM1-b遺伝子。中国では90品種を調べた結果、61品種に、RM1-b遺伝子を持つ稲が見付かったが、朝鮮半島では、55品種調べてもRM1-b遺伝子を持つ稲は見付からなかった。なお現在の日本に存在する稲の遺伝子は、RM1-a、RM1-b、RM1-cの3種類

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最新の研究報告より 長江文明(稲作文明)は、今から約4200年前に、急激な寒冷化によって突然衰退しました。 長江文明:日本の水稲栽培は、稲のDNA解析に基づくと、長江河口域から渡来したことが明らかになっています。つまり、長江新石器文明は日本人のルーツといえる重要な文明です。 ↓失われた長江新石器文明の謎 ? 約4200年前の気候変動を海洋堆積物から復元する(2018年12月28日) https://academist-cf.com/journal/?p=9579 ↓長江河口域の過去の気温と、日本列島への水稲稲作の伝来(約3000年前)、春秋戦国時代を比較してみます。

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日本人は、日本人という遺伝子プールの中の遺伝子の部品を使って再構成された民族です。 7世紀の日本列島の人口は「400万~500万人」、「縄文時代」と「弥生時代」に生成された「日本人という遺伝子プール」が巨大すぎて、長い年月の間に、日本人という遺伝子プールに存在しない特異的な遺伝子は消滅してしまいます。 例えば「第17代徳川家宗主」の「徳川家正さん」にしても「第18代」の「徳川恒孝さん」にしても、私達は、彼らに「徳川家康」の面影を追おうとしますが、科学的に言えば、彼らに「徳川家康」の遺伝子(DNA)は存在しないのです。つまり実質上「系統図」が残っただけであり、血がつながっていると思うのは、科学的には「錯覚」という事になります。 ----- 日本人(ヤマト人)は、例外なく、全員が、「縄文人」と「渡来系弥生人」との「混血」となります。 複数の人類集団が混在しているわけではありません。 ここで、あなたの祖先を10世代(1世代30年)追ってみましょう。 2の○乗=1(あなた自身)、2(両親)、4(祖父母)、8、16、32、64、128、256、512(10世代目)となります。つまり、あなたの10世代前の先祖は、512人いる訳です。 そして、あなたの遺伝子は、男女512人から、公平に512分の1づつ継承します。正確には染色体は46本なので、確率的要素も入ってきますが、対となる染色体どうしで遺伝子の組み換えも行われており、基本的には512分の1で問題はないと考えます。 ------------------- さて、ここで仮に、あなたの512人の先祖のうち、200人を「縄文人」、312人を「渡来系弥生人」としましょう。そうすると、あなたの遺伝子は、「200/512」が「縄文人由来の遺伝子」、「312/512」が「渡来系弥生人由来の遺伝子」となります。 ------------------- 結論を述べるならば、日本人(ヤマト人)は、例外なく、全員が、「縄文人」と「渡来系弥生人」との「混血」なのです。けっしてその片方だけが祖先であるという訳ではないのです。 ------------------- 日本人(ヤマト人)の祖先は、 「縄文人」と「渡来系弥生人」の両方となります。 「縄文人」と「渡来系弥生人」の遺伝的特徴は、白と黒を混ぜると灰色になるようには現れません。目が一重瞼なのに、くせ毛で毛深いなど、バラバラのモザイク状に現れます。 ------------------------ 「縄文人」と「渡来系弥生人」の遺伝的特徴がバラバラに表れているにもかかわらず、日本人(ヤマト人)が、北は北海道(アイヌを除く)から、南は九州まで、ほぼ同じ「DNA」であるという「根拠」を以下に示します。 ------------------------ 2017年7月18日の、東北大学の最新発表です。(プレスリリース(報道発表)) ヒトゲノム、世界最大級のDBに 日本人特有の特徴発見(東北大学) ↓ヒトゲノム、世界最大級のDBに 日本人特有の特徴発見(朝日新聞デジタル) http://www.asahi.com/articles/ASK7L55S8K7LULBJ00Q.html ↑東北大学などは18日、日本人3554人のゲノム(全遺伝情報)を解析し、公的機関で世界最大級のデータベースを作ったと発表した。日本人特有の特徴も見つかった。 ↓日本人3,554人分の全ゲノムリファレンスパネルを作成(東北大学) https://www.tohoku.ac.jp/japanese/newimg/pressimg/tohokuuniv-press20170718_05web.pdf ↑日本列島内の地域集団の微細な違いは確認されるものの、他のアジア集団のゲノム情報とは、大きく、かつ明確に異なる日本列島出身者としてのまとまりが検出されました。 ----- Nature:「ネイチャー」は、1869年11月4日、イギリスで天文学者ノーマン・ロッキャーによって創刊された総合学術雑誌。世界で最も権威のある学術雑誌の一つ。 「要素分析」の結果(「Nature」より)、中国人、韓国人と、日本列島集団とは、明確に異なっていることがわかる。 ↓Abstract https://www.nature.com/articles/jhg201579 ↓図(Figure1) https://media.springernature.com/m685/nature-assets/jhg/journal/v60/n10/images/jhg201579f1.jpg

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遺伝子からみたら、渡来人の影響はほぼゼロに近い数値であり、これは世界でも珍しい部類だそうです。

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大変難しい話ですね。 まず、帰化人をどのように定義するかで大きく違ってきます。 縄文人以外、ということでしたらほぼ100%に近いでしょう。 縄文人に最も近いとされるアイヌの人々も実際はオホーツク文化圏からの渡来人が多数を占めており、純粋な縄文人は日本にほぼ残っていません。 逆に、ハプログループを見れば縄文人との混血もほぼ100%に近いでしょうから、それを帰化人と言っていいのかどうか。 弥生人が何者であったか、という問題も生じます。 現在の中韓の人々はOが多い「新人」で、日本人はDの多い「旧人」ですが、O 系はそもそも後漢末やその後の動乱で南方から伸長してきた人々です。 それまで中原に住んでいた「旧漢族」は周辺国に玉突きで移動したため、日本の弥生人流入が落ち着く以前の大陸の人々がどのタイプだったのか、推測するしかできない。 つまり、「どのタイプが弥生人だったのか」すら、わかっていないんです。 私感では、福建省のいわゆる「客家」が本来の中原の漢族で、その一部が渡来した日本の支配層であろうと思われますが、彼らはすでに複雑に混血されていて日本人とも「現在の漢族」ともかけ離れているようです。 つまり、理系で遡って特定することはできないため、正確なpercentageの数字を出すこともまた不可能です。 残るは文献、ということでしょうが、中国の史書では大陸の南方系の人々の文化の記述と、日本の文化との興味深い共通点がいくつも散見されます。 私が特に注目したのは「身の丈を超える長大な弓を用い、剽悍で、好戦的で首を戦果とし、だが粘りがなく崩れると一気に敗走する」という内容で、これは言うまでもなく日本の武士に酷似している。 特に、和弓は世界でも類例のない独特な弓であり、同様の弓を使う民族はいません。 この記述は故・司馬遼太郎氏も作中で何度か言及しており、中国マニアの彼は日本人のルーツが呉にあると確信を抱いていたようです。 ただし、です。 武士は平安貴族とは全く文化が違い、恐らく人種も違う。 武士が呉人であれば奈良期の支配層である貴族は何人か、となると、それは中原でしかあり得ないでしょう。 呉人といえども文明圏の端くれの中華民であり朝鮮系の下につくことは考えにくい。半島系国家のルーツは高句麗と百済が満州系の渤海で、新羅が中央アジア系ですから、中華民からすれば蛮族以外何者でもない。 支配層が中原、武闘派が南方系、とすると、朝鮮系と言うのはつまり政権の傍流であったと思われ、出雲を中心とする日本海側勢力の一部がそうであったと思われます。 そして当時も、そして今も人口の中心は物成の良い太平洋側です。 そして、関東以北は満州系やオホーツク系移民でしょうし、九州は文化的に見て中国系移民です。薩摩隼人の祖先である熊襲の盾は、中国南部にほぼ同じ物が出土しています。 そう考え合わせていくと、朝鮮系の帰化人の「領土」は島根、鳥取の両県が中心であり、福井、石川は文化的にみて近畿圏(大和系)の影響が色濃く、微妙です。 この辺りは中国系との取り合いで分布はまだら模様でしょう つまり当時の人口は多く見積もっても日本人の1/20以下ではないかなと思われ、その後、朝鮮系に何か有利になることがあったこともなく(逆に出雲は大和に支配されている)、文化が朝鮮系で支配的になったわけでもないことから推察して、子孫もまた同様の比率か、あるいは減少しているでしょう。

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魏志倭人伝にも記述がありますが、朝鮮半島の南側一帯(百済、任那、済州島)は、倭国の領土でしたよ~。 だから百済には和式の古墳があります。 お隣は歴史を改ざんしているから史跡や文献は始末してますが。 だから、百済や任那が帰化したのではなく「帰国」しただけ。 なお、現地の朝鮮人達は奴隷として日本に連れて来られました。

追伸。 朝鮮にちなんだ名前は、日本の武士が領地の名を名乗ったのと同じで、百済や任那を支配した倭人も同様に名乗っただけ。 そんな古風な方法で歴史を調べないで、今はDNAで判明している事ですよ。 日本人と一致しない民族は、北方の高句麗(高麗)だけで、ココは現中国朝鮮族と同一部族です。