ID非公開

2020/11/20 18:57

44回答

こんなこと言ったら身も蓋もないけれど「慣れた頃にはもうお終い」というのが一生だと思いませんか?

ベストアンサー

0

ID非公開

質問者

2020/11/21 6:55

私は若い頃、建築職人をやっていて、高層マンションの上に行くに従ってどんどん熟練していくんだけど、やっと慣れた頃にはお終いで、またゼロからの繰り返しでした。 人生も、ようやっと真理に到達しかかった頃には良い歳になってるんですよね

その他の回答(3件)

0

なんとなくわかりますw。 恋愛でも、友人関係でも「慣れた」頃には、いろいろアラが見えるようになって、縁が切れたり、 人生や人間ってこういうものかぁと、わかってきた頃には、もう人生はお終いなのかもしれませんね。

0

先人の架けた橋のおかげで、わたしたちは川を渡ることが出来ます。 こうやってインターネットが出来るのも、皆 先人たちの努力の積み重ねのおかげです。 好むと好まざるとにかかわらず、一人の生は他の生と連なっていて、 そこには無化することのできない関係が厳然として存在します。 今まで実に数多くの人間が死んで行き、 昨日も今日も人は死に続けていますが、 わたしたちの現在の生が、依然として 先人たちの努力の上に成り立っていることは 言うまでもありません。 彼らは死にましたが、彼らの生は無意味なものではありません。 道をつくり橋を架けた人たちの努力は、 残された者たちの生活を豊かにします。 「死後の世界」というと、 ただちに、死後における自分の運命や成りゆきのことしか 思いを馳せぬ思想になりますが、 そうではなく、「死後の世界」とは、 「人類の運命や世界の成りゆき」のことだ、ということです。 ーーー 死んでから結ぶ果などというものは、どうでもよいではないか という者もあるかもしれないが、それはあまりに見解の狭い、 全く現実的で、利己主義な考えだとしなければなるまい。 そんな考え方では、結局、真に生きるに値するような人生は 送れるはずがないのである。けだしわたしどもには、 みんな子供もあるし、隣人もあるし、同胞というものもある。 我が亡きあとには、そんなものはどうなってもよい という訳のものではあるまい。 さらに眼をあげて言えば、わたしどもは、いかに微力であろうとも、 わたしだって、人類の運命や世界の成りゆきについて、 全く無関心ではありえない。せめて石ころの一つでも 貢献をしたいものと思う。 我が亡きのちに結ぶであろう果こそ、 最も心しなければなるまいと思えてならない。 (増谷文雄、『業と宿業』より)