北条氏政について質問です。 武田家滅亡間近で北条家は織田家に従属交渉をして信長に受諾され織田家の軍門に降っています。

日本史 | 歴史65閲覧

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家康の裏切りによります。 北条氏政は、秀吉に特に反感など持っていませんでした。 織田家中の後継者争いの最中に、氏政は家康と同盟関係結び関東制圧に乗り出しました。 その直後に、小牧長久手の戦いで秀吉と家康が対決します。家康と同盟関係にあった氏政は秀吉の敵対勢力ということになります。氏政に圧迫されている関東諸大名は秀吉に急接近して氏政の「悪行」を吹聴して回りました。 こうして成り行きで氏政は反秀吉派とされたのです。 さらに、家康が氏政に無断で突然に秀吉の軍門に下ったことで、梯子を外された氏政は反秀吉派の首魁とされてしまいました。 慌てて秀吉とコンタクトを取って上洛したい旨を申し出ますが、すでに秀吉の心証が悪くなっており、沼田領問題での裁定も氏政不利に終わりました。 そして名胡桃城事件が勃発し、怒った秀吉から誅伐対象に名指しされて万事急したのです。

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従属の意思は何度も交渉してますが、何度も難癖を付けられて断られています。 最終的に沼田問題を引き起こされて、対立しました。 まあ豊臣の次に力を持っていた大名なので、あまりにも強かったし、秀吉は滅ぼそうと考えていたわけでしょう。 徳川に関東をタダであげることを許して徳川を引き込んで、伊達には南部、津軽、佐竹を引き込んで周りを敵に回しました。 滅ぼしたくて滅ぼしたんですよ。

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