ハンセンやジャンボのアメリカ若手時代、「食えなかった」とか「仕送りがカップラーメン」とか、
ハンセンやジャンボのアメリカ若手時代、「食えなかった」とか「仕送りがカップラーメン」とか、 そんなにアメリカのマット界(テキサスのテリトリー?)は悲惨だったんでしょうか? 若手はカラダをつくるために食べるのが仕事。いくら70年代とはいえ、カラダづくりに食事が大切なことぐらい常識だったはずです。
プロレス・49閲覧
ベストアンサー
ハンセンや鶴田が修行したのはテキサスのファンク道場でザ・ファンクスの父親が存命の頃やでw ハンセンは食えなかった訳ではなく、子供も居た為に仕送りで極貧だったのは確かだが、鶴田は元子馬場夫人の仕送りで偶々(正確には)インスタントラーメンが送られて来たためw ハンセンが鶴田から「何か食いモンない?」と集って、ラーメン喰って美味かったので黙って食った事もあったそうだww 収入的にはハンセンの中学教師時代より新人レスラー時代の方が良いよ。
質問者からのお礼コメント
詳しすぎるんじゃオマエ
お礼日時:2020/12/1 1:03