海軍経理学校への入校は当時難しかったのでしょうか?
海軍経理学校への入校は当時難しかったのでしょうか? 終戦の2年ぐらい前一般の人は大学に行かない時代と思いますが。 卒業すれば将校で一応エリートコースと思いますが
ベストアンサー
海軍経理学校で中学を終えている生徒を採用し主計課士官を育てているより、1936年以降は、シナ事変による人手不足ですぐ役に立つ経理士官が必要になったため「海軍二年現役士官制度」をつくって、大学・専門学校卒業者を2年間の期限付きで士官に採用したのです。 任官すれば、即中尉、というので、東大・京大から中央官庁や日本銀行に勤務していた若者が続々と志願しました。 陸軍に徴兵で取られれば、最下級の二等兵からスタートですから、試験に受かってちょっとの教育期間(海軍の用語や習慣を教わる!)を我慢すれば中尉というのはエリートに人気がありました。 この2年現役で主計科士官は、1938年採用の第一期35人からはじまり、第12期迄合計3550名も採用されています、海軍経理学校が募集するのは年20名余ですから、圧倒的多数がこの二年現役(短期現役ともいう)士官となります。 なお海軍では、兵科、造船科がエリートで、主計科は 陸軍同様にエリートではありません、巷間、「蝶々トンボも鳥のうち」とざれ歌でからかわれる存在です。 太平洋戦争中は、
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質問者からのお礼コメント
兵庫中学から2名採用され 全校生徒の前で激励され 垂水分校で教練されたと聞いています サーベルを腰につけ短ラン出歩く姿は神戸で注目されたそうです。 終戦後は国立大医学部を得ていまだ現役で外科医をされています
お礼日時:2020/12/2 19:44