ID非公開

2021/1/7 16:39

44回答

プロイセンの飛び地の領土はどうやって統治・防衛していた?

世界史 | 国際情勢33閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">250

ベストアンサー

0

その他の回答(3件)

0

これは憶測ですが、その領土の地主であったユンカーと呼ばれる人たちが防衛や戦争時に戦地へ行っていたのではないでしょうか?

0

平時には、要塞や駐屯基地、都市などに守備部隊が配置されており、国境地帯の関所や峠などにも部隊が配置されているところもあり、基本的には飛び地をふくめてすべての領地には公務員と軍の士官がいました。これらの兵力は二線級部隊であり、野戦軍にはカウントされません。 集団戦闘の時代には、面の支配はせず、完全に侵入を防ぐといったやり方もしません。戦時においては、要所要所に部隊を集めて、優勢な敵が侵入した場合には要塞や都市に兵員を撤収させて数カ所に集中させて抵抗します。 それで戦争が起きると、領域侵犯は頻繁に起こりましたが、当事国でなければ中立が宣言されるので国際法上の保護が一定程度は与えられました。当事国の場合は敵側に簡単に占領されることもありますが、戦争は外交によって解決されるまで終わらないため、後で取り返すことができる類の損失です。小さな飛び地などでは、ほぼ抵抗は行われません。降伏して明け渡しますが、戦争の成否は主戦場での戦いに左右されるのでそれらは何の問題もないのです。最終的に土地のやり取りにおいて、交換材料になることもあれば、ならないこともあります。 プロシアについていうならば、18世紀初頭にプロシア王国が誕生してから大きな戦争はオーストリア継承戦争と七年戦争とフランス革命戦争、1806年と1813年戦役ぐらいです。最初の2つは神聖ローマ帝国内の戦争でしたが、国土は結構荒廃しましたし、多くの所領が攻撃を受けました。どのみちこの時代では戦争において民間はあまり保護を受けれませんが、飛び地かどうかにかかわらず戦争の惨禍はつねにあります。後者の3つによってプロシアは飛び地のほとんどを失いました。1815年の段階では、小さな飛び地は(1つ2つを除いて)ほぼなくなり、プロシアの領地は大小の2つの塊になってます。 統治は基本的にはほかと同じです。飛び地は、一つの自治体が離れているだけです。離島みたいなものです。税金等は飛び地でなくてもこの頃は全国共通ではありません。

画像
0

それぞれの領土ごとに統治・防衛します。 もともとバラバラの国だったところが、婚姻や相続によってたまたま一緒の君主になっただけです。 本質的には、それまで通り、バラバラに統治します。 前近代の国家は、かりに領域が地続きであっても、そうです。

ID非公開

質問者2021/1/7 16:48

ということは、徴税等もバラバラのまま? プロイセンが吸い上げるということはなかったのでしょうか。