2020年上半期の中国の都市別GDPランキングを見ると、内陸の都市は重慶(6位)、成都(8位)、武漢(9位)がトップ10にランクインしています。よって内陸部では重慶が経済発展の面ではトップですが、ここだけが発展していると言うわけでもありません。
成都の場合は元々四川方面において政治経済の中心でしたから、上位にランクインするのも当然といったところ。重慶はどちらかと言えば後になって発展してきた都市になります。
そもそも重慶という地名が初めて出現したのは南宋時代ですが、この当時四川における政治経済の中心は成都一帯でして、それ以外は大体漢族と非漢族が雑居するフロンティア、重慶も四川の主要都市の一つという域を出ませんでした。
潮目が変わるきっかけの第一は、清代に移民が大量に流入して四川全域で開発が進行したこと。
※四川は明末に張献忠の反乱軍や清軍の虐殺によって人口が大幅に減少し、後に清朝によって政策的に移民が進められました。さらに食糧生産の安定で人口が全国的に増大すると、今度は手つかずの土地を求めて自主的な移民がどんどん流入していきました。
第二は先行回答にもあるように重慶は水運が盛んであり、清末にイギリスや日清戦争後の日本との条約で、貿易港として開港したこと。これによって交易センターとしての重要度が上昇し、今日に繋がる発展の基礎になっていきます。
要するに清代の中期~清末にかけて、四川への移民の流入後に開発が完了し、列強との条約で開港、交易拠点化したことが、重慶が発展していく節目だと言えるでしょう。
ちなみに武漢の場合、重慶と同じように水陸交通の結節点でしたが、大陸の四方に通じる交易センター、かつ徴税した物資を輸送する物流拠点だったことで、重慶より早い明代頃から発展し始め、武漢三鎮が形成されていきます。