クラスの子がいじめたくなる児童と、いじめられない児童の差は何なのでしょうか?そこを解決しないといじめは無くなりませんよね。

その他の回答(8件)

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いじめる奴の気持ちは理解できないです。 何か言っても倍で返してくるような子は いじめようが無いと思う。 この子なら言っても 言い返してこない。 だから虐めるって言うやつが多い気がします。

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いじめっ子Aちゃんといじめっ子Bちゃんがいたとして、Aちゃんがいじめたくなる子とBちゃんがいじめたくなる子には何か共通の傾向があるだろう、それはいったい何か?という問題設定ですね。しかし私には、共通の傾向はないのではないかと思えます。Aちゃんにいじめられていた子が、Aちゃんに嫌われないように気を付けてみたら、今度はBちゃんに嫌われるようになったり、運よくAちゃんにもBちゃんにも嫌われないように気を付けることができたとしても、今度は別のCちゃんには気に食わないということになるかもしれません。そういうことってよくありそうではないですか?世の中にはいじめっ子はいくらでもいるのですから、いじめられない子というカテゴリーがあるというのは幻想であるように思えるのです。 ところで話が変わりますが、他の方とのやり取りで質問者さんが出している、泥棒と鍵の比喩を考えてみました。確かに泥棒を防ぐには鍵を掛けるのが効果的です。施錠するということには、デメリットはほとんどなく、一切鍵を掛けない習慣の人生を送る場合に比べて、玄関を通るときにだけ、「掛かっている鍵を開けて玄関を通ったら忘れずに鍵を掛ける」という作業をするだけでよくて、それ以外の自分の生活はほとんど変えずに済みます。これに対して、誰かがいじめたくなるような特性というものがあるとして、それを変えるとしたらどうでしょう。例えば言動だったり、他人がうらやむ(≒ねたむ)ような活動などですよね。でもそういうものはその人が自分らしい人生を送るために切っても切り離せないものでしょうから、それを捻じ曲げるということは、その人の人生のかなりの部分を犠牲にしてしまうということになるでしょう。そうすると、泥棒を避けるために鍵を掛けるような気軽さでできるようなことではないし、それをしないことが他人から非難されるようなことがあってはいけないだろうと思います。このような重みの違いを考えれば、比喩としてはあまり妥当ではなさそうです。 このように考えると、いじめられないように気を付けるというのは、そもそも無理強いされるようなことではないし、実効性もさほど期待できない考え方だというように思えます。

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おっしゃることは理解できますが、泥棒のケースと同じでできる対策からするのが大事だと思います。自分がいじめられない為にできることは何かを考えて、その中で自分にとって負担にならない事は何かを選べばいいのでは無いでしょうか。加害者の心を入れ替えさせるというような寝言に意味はありません。大人にできることは、イジメられないようにする技のメニューを数多く提供することです。

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妬みや嫉妬が生じない子もいますよね。お人好しな子、その子とそうでない子の違いを研究してみることでは? あとは、いじめる子は必ずしも嫉妬でいじめてるわけでもないと思います。単純にターゲット探し、理由は後付け。加害児童の親が毒親や虐待親だったりもします。親に所有物として扱われマウントされまくってるから、クラスではマウント取れそうな気弱そうな奴を狙うとか。 日本ではDV加害者やストーカー加害者には更生プログラムがありますが、いじめ加害者にはありません。家庭で取り組むプログラムを作り上げる必要があるかと。

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うちの子供をいじめていた子供はうちの家が嫌いだったからいじめていたみたいですよ。 他の保護者にいじめていた子の親が言っていたそうです。 私はその子の親と役員したぐらいしか面識ないんですが。話した記憶もほぼ無い。私が嫌なら私にケンカを売って欲しかったですが。 私の子供は迷惑でしかない。