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吹奏楽部の低音木弦楽器いらない説、について
吹奏楽部の低音木弦楽器いらない説、について 私が中学のときに吹奏楽部が標準編成でそこそこできたのは、いくつもの幸運が重なったからだ、と考えています。たとえば、 ① ベビーブームで部員が100人近くいて、3年生と2年生の上位だけで標準編成が組めた ② 高度経済成長期末期で、ピッコロ、オーボエ2、ファゴット2、コンバス2、エスクラ、アルトクラ、バスクラ、バリサク、大量の打楽器、その他全ての楽器が学校に揃っていた ③ 朝練含めブラックが当たり前で、そこに疑問を感じる者がいなかった。根性が美徳の時代であり、退部者もほぼゼロ ④ 顧問が熱血で、かつ音楽の才能に長け、かつ芸術性の高い吹奏楽曲を好んだ。等々 どれひとつ欠けても標準編成は成り立たない、というわけではありませんが、まぁひとつ欠けるごとに演奏のレベルは下がるでしょう。ちなみに近年の母校の部員数は三十数名、② の楽器群は倉庫で永眠中です。 では仮に、母校の周りで再開発が行われマンションがバンバン建ち、部員が50人超えたら標準編成に戻れるのでしょうか? 個人的には、 フレキシブルに毛が生えた程度のポップスやアニソンをメインにするレベルのバンドで、見たこともない好きでもない重い楽器を、国技とも言うべき全体主義で強制したところで、 ・ 先生、テューバ3本もあって、それをトレースして、私の楽器って、私って、必要なのでしょうか? という感想に至って自然だと思います。 ただ、市吹団員ないしプロとして何十年も継続する、となれば別です。遅かれ早かれいつかは、 ・ あぁ、大作曲家が交響曲中でファゴットにあれだけの存在感と輝きを与えるのと同じように、② の楽器を必要不可欠のものとして吹奏楽曲をを書く、そんな作曲家もいるんだ と肌で体感するでしょう。しかし、そんな高みにいる大人達が、勝手に強豪校以上を想定し、高級芸術吹奏楽論を展開したところで、当の本人が、 ・ いやぁ、オレの楽器、ひいてはオレ自身、この部にいらねえな。早くジャズ研いって弦バスやりてえし、ファゴットの彼女も大学オケ楽しみにしてるし と感じたなら、それが全て、ではないでしょうか? 道具の要る要らない、とは、環境に応じ当人が感じるべきもので、地方人の言う車は絶対要る、都会人の言う車なんて要らない、どちらも妥当だと思います。 質問 高級ブランド楽器とかけまして、吹奏楽部 ② の楽器と解く、その心は、どちらも、初心者、初心者バンド、に真価は引き出せない、魅力を感じない、本人がヘコむ とも思うのですが、それはともかく、 ・ 努力して上手くなりさえすれば、あなたの存在感は出る。楽器の魅力も出る とか、 ・ 自分の楽器をもっと好きになれば、その問題は解決する とか、 ・ なくてもなんとかなるけど、ないよりあったほうがいい といったアドバイスは、これ本当なのですか? 何か、診断もせず薬だけ出す医者のような不気味ささえ感じるのですが。