ベストアンサー
あの日は神戸のサンテレビは全ての番組を潰してたのは覚えてるけど、民放のゴールデンタイムは普通の番組を流し、提供クレジットも流れるけど関西だけCMは生活情報に流してたのも見てました。 それが何日目だったか…。当日は消防車のサイレンばかり聞いてて、当時いた場所から数百m離れた大火災をテレビで他人事のように見てましたが、大渋滞で数時間かけて親戚の家まで行ってドラマを見たのは翌日以降だったハズ。 まだ2011年や昭和天皇の崩御とは違ったし、NHK教育とテレビ東京は通常放送だったかも知れないね。
「生活情報に差し替え…」ね。 印象的だったのは、東京のアナウンサーが大阪に来て在阪テレビ局から全国ネットでニュースを伝えた番組。関西で見てる人は、CMに行く前に夜景が映るけど、その直後に1秒弱ほど東京のアナウンサーが映り、同じスタジオに居る大阪のアナウンサーに切り替わって生活情報を伝え、CMが終わる直前に再び東京のアナウンサーが少し映ってVTRが流れる…。 地上アナログ放送で、当時は地方局ではローカルCMの時間帯はサブリミナル連発の時代だったけど、現代では考えられない変な切り替え方をしてたんだなと(笑)。もちろん、関西エリア以外で見てる人は何の影響も無かったハズ。
質問者からのお礼コメント
ちゃんと敬語使え
お礼日時:1/24 19:15