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2021/1/17 17:43

33回答

ソ連は、独ソ戦が始まる前から工場をウラル山脈の方へ疎開させて、将来の独ソ戦に備えていたのですか?

歴史 | ミリタリー32閲覧

回答(3件)

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当時のソ連の一番の工業地帯はレニングラードで、ここには大規模な軍需工場もありました。ですが、包囲を防ぐどころか、工場の疎開すら出来ていませんでした。 独ソの開戦をスターリンは全く考慮していませんでした。開戦前夜からその日になってやっと気づいたと言われています。ですので、開戦前から工業を疎開させている訳がありません。 ちなみに、ハリコフにあった列車工場(3つあった戦車工場の一つ、レニグラとハリコフともう一箇所どこだったかな)は、ドイツの侵攻のギリギリのところで疎開に成功しています。

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ウラル地方は古く18世紀頃から工業地帯です 移転させたのではなく元々工場が多い地域でした

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たぶん、違うかと。 スターリンの側近の回顧録を読む限り、スターリンにとって独ソ戦は完全に想定外でした。 第二次世界大戦の引き金になった独ソ不可侵条約からのナチスドイツのポーランド侵攻。この侵攻において、スターリンは側近たちと共に第一次世界大戦型の長期戦を想定していたことが分かってます。しかし、短期決戦で終わることが分かり、慌てて介入しました。これが1939年の話です。 その後のドイツフランス戦も完全に予想外。欧州最強陸軍国のフランスも短期に破れ、かたやソ連は弱小国のフィンランドに大苦戦。何とか勝ったという状態。これが1940年の春。 この後に独ソの軋轢が生まれるのですが、スターリンが独ソ戦の準備をしたという記述は全くない。唯一行ったのが、かなり有名な話ですが。当時の参謀総長に独ソ戦が行われた場合のシミュレーションを命じたのですが。攻勢を主張する参謀総長に、当時は40半ばに過ぎないジューコフが専守防衛を主張。怒った参謀総長が図上の演習でジューコフと勝負したのですが、ボコボコに破れる。その結果を見たスターリンが参謀総長をクビにして、この40半ばのジューコフを参謀総長に任命しました。 しかしこの時すら、部隊の移動くらいしかしてません。スターリンは、ドイツを刺激してはならないと、ジューコフを邪魔してしまったんです。 1941年に実際に独ソ戦になりますが。工場疎開のような大きなことに手をつけた可能性は極めて低い。偶然の移転があったかも知れない程度でしょう。何故断言できるかというと、工場疎開より前にやるべきことを全くやってないからです。特にレニングラード包囲は絶対に許してはならなかった。様々な要因が重なり、防衛仕切りましたが。国の第二の都市が陥落しかねなかったというのは致命的失策。明らかに疎開した工場よりレニングラード内に残ってる工場と労働力の方が大きかったはずです。

補足 当時のロシアは広大な領土を持ってましたが、人口のほとんどはモスクワ、レニングラード、そしてスターリングラードに集中してました。後は人口密度の少ない農業地帯。 そして独ソ戦では、この内2つが包囲されたんです。もちろんドイツもドイツで限界が来てて、後の専門家の分析ではモスクワが陥落してもドイツが負けた可能性が高いことが分かってます。 しかし、それは当時には分からないことです。この3都市は絶対に守らなければならなかった場所です。ここへの侵入を許して工場疎開というのは。日本で例えるなら大阪と名古屋の防衛を後回しにして、茨城の工場を栃木に移すようなもん。