1.
表現は優れて個人的なものだが、他者の表現を理解する能力のないバカが強制力によって自己中心的な表現制限を行えば、さらに多くの理解力のないバカを生み出し、バカがバカを加速的に量産するという悪循環だ。それは理解力を育む機会を奪う=内心の自由を奪うことである。
理解力は内心の自由によってしか育たないからだ。暗記による模倣は理解ではない。
2.
バブル経済。資本の極度の集中による格差は経済活動の自由度を極度に減少させ、システムの破局=経済の社会的分配機能の喪失へと導く。金利に基づく資本主義が抱える原理的問題だ。
人類のすべての経済が「有限」な人口と資源に基づく以上、無制限の自由な経済は最初から存在しない。自由な経済は常に「制限付き自由」でしかないのだ。
3.
資本主義を制御する「独占禁止」「社会的分配」を言い換えただけだ。
4.
自衛とは文字通り自分を守ることであって、他者がどうなるかを含まぬ概念だ。
ゆえに人類の歴史で他者を蹂躙して自分を守るという身勝手による非人道が頻繁に生じた。その言い訳は「危険を感じた」という「言い訳のための言い訳」であり疑心暗鬼や恐怖の表出だ。
人が社会の中で「あいつが気に入らない、自分にとって危険だ」という身勝手な理由で「自衛と称する暴力」を振るうことは許されない。それは人類を生物種として滅亡へ導く。
すなわち自衛権は人類社会の「他者との共存共栄」という前提条件の制限を受けることが理の必然ということだ。
5.
政治権力を持たない象徴だからだ。国旗と同じ意味だ。国旗は風でたなびくだけなのが仕事だ。
6.
歴史的に衆院は地域ごとに選出されるため地域色が強いが、参院は地域無関係な全国的役割を期待されたことが反映している。だが現代日本ではほとんど形骸化している。退廃と言ってもよい。
7.
日本においては一元化は独占とマルチサクラな私物化独善を生むからだ。
8.
起こると称する言説は無知かフェイクデマの垂れ流しだ。極ウヨウヨやホシュなど自己厨な私物化主義者が好んで使う言葉だな。
民主主義以前また民主主義以外のすべての政治主義すなわちイデオロギーは誤った価値観を最高としてアンタッチャブルにし、それを固定化して修正させない目的で構成されていた。
すなわちそれが「非民主主義による失敗」である。
それに対して民主主義は人間も社会も過ちを犯すことを前提として、それを起こしにくくし、かつ起こっても素早く修正できる方法論の集大成なのだから、いわゆるイデオロギーとは以って異なる。
修正のための一つの手段の失敗もまた修正の対象だ。
この世は決定論的に運命が定まっているのではなく、生物一個体が生きるためでさえ試行錯誤を繰り返し、最善の予測をしながら修正を重ねて生きている。
人類社会もまた然り。それを行う社会機構の方法論が民主主義だ。民主主義は環境と予測に応じて修正を重ねていく生命集団の機構モデルなのである。それが失敗するということはすなわち修正不能に陥るということそのものだから、人類の滅亡を意味するものだ。
9.
海外の民主主義国の改憲はすべてが実務上の具体的な事柄の修正に留まり、民主主義を民主主義たらしめる前提条件の変更ではない。
日本国憲法で実務的具体的なものは国会や内閣や選挙制度などの憲法機関制度に関するものに留まる。
憲法9条は憲法の前提条件を直接に反映した理念であるからには、その変更は直接に民主主義を破壊する。