そういう定説が覆されつつあるというだけで
「嘘」というのは言い過ぎです。
普通に地図を眺めていれば、朝鮮半島か南西諸島沿いに
伝わったと考えるのが自然ですから、
それらが有力な説になるのは仕方がないことです。
しかし、朝鮮半島への稲作の伝播は明らかに九州よりも遅れており
南西諸島からは古代の稲作跡が一切出てきていませんでしたので、
歴史家を悩ませていました。
近年のDNA調査から、長江下流域から対馬海流に乗って
直接、対馬海峡を挟む北部九州~朝鮮半島南端に渡ったことが
ようやく判明してきたところです。
魏志倭人伝などの文献からも、弥生時代の倭人は
長江下流域の呉・大伯の末裔を称しており、
これでその裏付けが取られたことになります。
我々は文化や人の流れを考えるときに
どうしても陸や島の近いところからと考えがちなのですが、
海流の動きに注目すると、その常識が覆ることが多いです。
南西諸島などは島伝いに文化が伝わりやすいように見えますが、
実は陸や島が迫っているところは海流が急かつ複雑で
隣の島へ辿り着くのは意外と困難なのです。
特に宮島と沖縄本島の間は宮古凹地といって
間が離れていてかつ海流が急なため、
古代においてはほとんど文化的交流が存在しませんでした。
長江下流域からは、大陸づたいや南西諸島づたいではなく
対馬海流に乗って一気に海を渡ってきたものと思われます。