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2021/1/23 18:15

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明智光秀は細川・筒井に加勢を拒否された時点で詰んでいたのでしょうか。

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確かに兵力的には、明智軍が大きく劣っていましたが、 秀吉の率いる約1万5千~二万の兵たちは、士気は高くとも、 強行軍で疲労が回復できておらず、必ずしも、 兵力差で優劣を決められる状況でもなかったはずです。 実際の戦闘は、両軍が対峙して、一日半が経過して、 明智軍が攻撃を仕掛ける形で始まったのですが、 秀吉軍の疲労状況を考えたら、明智軍はもっと早く、 攻撃を仕掛けるべきだったでしょう。 時間が経てば経つほど、秀吉軍の疲労は回復し、 兵力差が物を言うようになってしまいます。 この合戦の特長は、勝った秀吉軍の推定死者が3300人に対し、 負けた明智軍の犠牲が3000と少ない点です。 通常の遭遇戦では、激戦の場合でも、負けた側が勝った側の、 2倍以上の犠牲を出すのが常識です。 つまり秀吉軍は、それだけ疲労が激しかったため、 多くの犠牲を出してしまったと考えられるのです。

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戦さは水物です。どこで風が変わるか分かりません。 なので関ヶ原の戦いで石田三成は一人になっても逃げ延びようとしましたし源頼朝は流人の身から鎌倉幕府を作り上げました。 将棋の駒の王将を取られなければ負けではないのと同じです。

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本能寺の変の起きる直前の織田の 各方面の戦力を大ざっぱ、に示すと ①羽柴軍=約三万人 ②柴田軍=約三万人 ③明智軍=約一万五千人 ④大坂の織田軍(四国遠征軍) =約一万五千人 ⑤摂津衆(池田軍、中川軍、高山軍) =しめて約一万人 ⑥関東甲信越の織田軍=約一万人 ⑦筒井軍=約6000人 ⑧細川軍=約3000人 戦力増強の手っ取り早い方法は、 一番ちかくにいる敵軍を襲って 降参させて敵の人数を引き込んで 味方の人数を増やすことで、 ③明智軍は④大坂の織田軍を 降して取り込めば人数の大幅増加が 見込め、次に摂津を急襲し、また 戦力吸収に成功すれば中国大返し 、で戻ってきた羽柴軍より人数が 増加できれば明智軍は山崎の合戦に 勝つ可能性は高まります。