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江戸時代に酒と言えば日本酒だったと思いますが、都がもっと西である平安時代にも、事情は同じだったのでしょうか?

補足

つまり、焼酎文化を築いていなかったのでしょうか?

日本史18閲覧

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醸造酒で濁り酒でした。醸造酒の技術が研ぎ澄まされていきました。 奈良時代から儀式用に清酒が造られてきた歴史があったようですが、限定的でした。 西洋でもビールが修道院で作られてきた歴史がありますが、日本でも高品質な「僧坊酒」として畿内の寺院を中心に作られてきました。戦国の混乱で衰退しますが、技術は受け継がれ広がりを見せます。 秀吉時代「僧坊酒」の高い技術を受け継ぎ、良質な水質で繁栄した伏見酒(伏見樽)でしたが、江戸期になると他所酒(よそざけ 京都以外の生産地)が圧倒します。近江からの安価な酒の流入や特に伊丹の酒でした。 伊丹で清酒の大量生産技法が開発され、一気に清酒が広がります。この伊丹は近衛家の所領だったため、厚く保護されて技法を開発した鴻池善右衛門は、豪商に発展しました。中でも川から海へ運搬し菱垣廻船・樽廻船で江戸へ運ぶ一貫生産で巨万の富を獲得します。 その後、海に近い灘で良質の水が発見され、他の酒を駆逐していきます。

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酒は古代からあるものです。むかしから日本酒の製造は伊丹や灘など関西が中心で関西でも酒といえば日本酒ですよ。 焼酎のような蒸留酒は「らんびき」などという蒸留装置が必要になるので精密な金属器や陶磁器の製造技術がなかった昔は作れなかった(あっても薬用アルコールの製造が主)。 日本に製法が伝わったのはせいぜい室町時代、広く製造されるようになったのは江戸時代になってからと言われます。 余談ですが何年か前鹿児島の居酒屋に入った時、メニューには「酒」としか書いてなく、注文したら焼酎が出てきたことがあります。「鹿児島では酒と言えば芋焼酎に決まってるのだ」と言われ驚いたことがあります。 そういう土地は今でもあるようです。

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今で一般的にいう日本酒は清酒ですが、江戸時代になってから広まったものです。それ以前、清酒は河内長野の天野酒のように寺でひっそりと造られる程度で、日本酒は濁り酒(どぶろく)でした。 平安時代もそんな感じです。 焼酎は、沖縄の泡盛の製法が九州に広まって、原料を色々アレンジ(泡盛は長粒米だけど、焼酎は蕎麦や薩摩芋、麦など多様)したもので、一般的な物ではありませんでした。

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蒸留技術は、中世欧州で確立し、14世紀に琉球に伝わった。その後日本です。 なので平安時代は醸造酒 日本国内では文献記録で確認できる限り、少なくとも16世紀頃から焼酎が造られていたと見られている。