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2021/1/25 2:03

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秀吉の中国大返しについてですが、

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質問者

2021/1/25 12:46

ありがとうございます。 ということは、秀吉の心情としては、①信長を殺した光秀に従うつもりは毛頭無かった、更には、②「信長が殺された。このままだと、次は自分が殺られる」という確信みたいなものがあったのでしょうか?だから、殺られる前に大急ぎで戻る必要があったのでしょうか? あと、追加ですみません、秀吉以外に、光秀を倒して手柄にしようと積極的に動いた武将はいたのでしょうか?手柄というなら、みんな我先に光秀を倒しに動いたと思うのですが。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

丁寧に答えて下さりありがとうございました! とても良く理解できました!

お礼日時:1/25 13:41

その他の回答(4件)

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撤退開始が6月5日、山崎の戦いが14日。 距離は230㎞。 1日あたり、26㎞ほどであり、行軍の容易な補給路のさかのぼりですから、そんなに速くありません。

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ほっといたら ①光秀が勢力を増す可能性がある。 ②織田家家臣(柴田勝家,滝川一益など)または織田信雄、織田信孝または徳川家康が先に光秀を倒す可能性がある。

そもそも普通なら信孝信雄のどちらかを盟主にして光秀を倒すはず。どちらも盟主にしていないのは明らかに自分が仇討ちを果たして,後継者になるのが目的。

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①明智に畿内の諸勢力を糾合されれば、一大勢力となり秀吉遠征軍は物資の補給の継続もままならないまま、毛利との挟撃を受けることになります。 明智の体勢が整わないうちに、その対決を急ぐ必要がありました。 ②先にも触れましたが、秀吉は遠征軍。平たく言うと旅先です。持っている兵糧が尽きることは、脱走兵が加速度を増して増加します。雑兵にとって「飯を食わせてくれる」ということが第一の忠誠ポイントでした。早期に決着がつかなければ、秀吉軍は自然消滅を待つだけです。 ③もう一つは、明智軍の規模が膨らんだ場合、戦闘が長引きます。食料問題にプラスして、準備した信長麾下の武将が続々と引き上げてきて信長の仇を討つ一番手柄を挙げることが怪しくなってきます。このことが最大の問題でした。

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信長・信忠が生きていれば忠誠心を示し更なる出世に繋げるために、死んでいればその後の展開で優位に立つために、でしょう