コールド・リーディングっていう言葉があります。
「そんなことを言うのであれば、誰だってある程度は当てはまるだろう」みたいな話題を振って、その話の中から相手がどういう反応をするかを手がかりに相手の情報を読み取るという技術です。
人間、言葉で会話する場合でも自分でも意図しないうちに言葉によらずにいろんな情報を発信しているものですよ。
コールドがあるのに対して、ホット・リーディングっていう言葉もあります。
これは調査員を使って占う対象者を予め調べ上げておくという方法です。
普通の人の普通の生活なら、慣れている調査員なら3日あれば丸裸にできますよ。
自称占い師とか霊能力者とかが調査員を使っている場合もありますし、誰かをそういう特殊能力の持ち主としてスターにしたいと考えている場合もあるでしょうね。
人間、生きていればそういう不確かなものに縋りたくなるときもあるのでしょう。
いろんな人が現れては消えていきますね。
後はどうやって一般大衆受けするかだけの問題になります。私はその星さんという方を存じませんが「突然ですが占ってもいいですか?」なんていかにもキャッチーな言葉じゃないでしょうか。
もうだいぶ昔ということになってしまうのでしょうが「こんなん出ましたけど?」というのが決め台詞の占い師も昔マスコミを賑わしました。
いささか話が飛躍しますが、すべては科学で説明できる、いま現在は不思議としか言えない現象も、いずれ科学の進歩によって説明されるであろう、と言う人は結構いますよね。
であるならば、ひとりひとりの人間なんていうちっぽけなもののありようはビッグバンが起こったときにすべて決まっていることになります。
つまり、科学万能論者は、同時に「人間の運命」とか「未来の予知」とかいう一見非科学的に見えるものを肯定していることになります。
私は未来は自分の力で決めるものだと思ってますから、話のネタとして占いを見ることはあっても、それに縛られて行動するのは嫌いです。わざわざ逆張りをしたりすることはありませんが。
たとえばいま私は大変眠いのですが、仮眠を取ろうなんて考えて横になったら結局とっぷり寝てしまって今日からの積み残し業務が明日に持ち越されて大変になるだろう、ぐらいの予知能力はあります。
逆にここでひと頑張りするとちょっと疲れますが明日少々寝坊するぐらいのことは許されるかも知れません(私は現在雇われで働いていないので自分の仕事をどうやりくりするかは全部私が決めていいのです)。
ただ、占いというものを全く否定するべきか、という質問には「完全には否定できない」という結論をつけたいと思います。
筮竹(ぜいちく)ってご存知でしょうか。細い竹の棒が沢山あるやつ。
筮竹による占いというのがフィクションなんかに描かれるときには、筮竹をガラガラと混ぜた上で一本取り出し、それに書かれている卦をみて「未来はこうなる」と予言するようになってることが多いです。
正しい使い方は違います。薄暗いところであの筮竹を目分量で半分に分けたりまたまとめたりというような一定の手順を踏むと、最終的に手元に残る筮竹の数が4種類にしかならないそうです。詳しい手順はもう忘れてしまいましたが。
薄暗いところでそういう決まりきった行動を、占いたい事柄のみを考えながら行なうことで、はっきり言うと眠くなるんです。
眠くなることによって「意識」の働きが弱くなってきて、その隙を突くように「無意識」の働きが活発になります。
人間は意識の働きよりも無意識の働きの方がはるかに大きいとされています。そういう無意識が前面に出てくることで、先を読む力というのが完全な覚醒状態よりはるかに強くなってきます。
このことによってある程度の未来までは読めるようになるというわけです。謂わばわざと予知夢を見る状態を作るのです。
タロット占いにせよ水晶玉占いにせよ、薄暗いところで単調な作業を行なうという点では共通していると思いませんか?
でもまあ、マスコミなどで人気が出ちゃうような占い師は、良くてコールド・リーディングの名手、下手すりゃホット・リーディングのために調査員を使ってる詐欺師でしょう。
ちょっと前まで占いといえば細木数子でしたが、彼女がつけた芸名に変えて売れた人いますか?
もしあなたが星さんに占ってもらえることになったら、信じるにせよ疑うにせよ、あなたがこうであって欲しいと思っている星さんになりきってもらえるはずです。
あなたが神様か?と思っている人は、そういう性質の人です。