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第二次世界大戦後、ドイツはアメリカとソ連に分割統治されたのに、日本は、なんで、アメリカだけなんですか?

世界史 | 日本史231閲覧

回答(13件)

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簡単にいえばドイツは西を米英仏に占領され、東をソ連に占領されたからです。逆に日本は樺太や北方領土はソ連に占領されましたが、本土そのものは沖縄を除けば占領されていないのです。 また、史実として分割案として出てきた中華民国は中共との戦いでそれどころじゃない、イギリスは戦争の疲弊で極東まで回らない、ソ連は火事場泥棒なので極東での発言力は弱いのでアメリカ単独による占領政策になりました。 また、完全に国が占領されたドイツと違い日本は本国に数百万の兵士が健在だったので下手に分割案を実行するとレジスタンス化する可能性が大だったので分割統治が実施されませんでした。

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WW2でドイツが降伏、このあたりから米ソの政治色の違いゆえに、いわゆる冷戦(直接武力衝突はなかったが、相克、軋轢の緊張関係)がスタート。ドイツの分割は、ソ連はドイツとの戦争国で当然であった。だが、対日戦では、アメリカが主力であり、ソ連など終戦が見えてきたころの参戦で、いわば火事場泥棒的存在であり、発言力(権利)は薄いものであった。しかも、自由主義陣営(代表米国)にして、アジア圏全体に共産主義色(代表ソ連)の浸透が及ぶのを警戒し、その砦的(要衝)存在に日本を注視し、ソ連の影響力を排除する政治力を行使。米軍を駐留し、日本国自身の経済発展にて自由主義の素晴らしさをアピールのプロパガンダを目的にした。その期待に日本は予想以上に答えた。つまりアジア諸国に、典型的な自由主義のモデル国になり、彼らに憧れる・良いお手本国になって、米国の思惑通りになって今日に至ってる次第。

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1945年12月のモスクワ外相理事会で外交的合意として、ソ連は「日本におけるアメリカの優越的地位(独占占領合意)」を了承し締結。 その背景は原子爆弾です。 広島・長崎に投下された原子爆弾はそもそもソ連に対する終戦後の威嚇であり、当時スペインまで侵攻していたソ連に対して撤退を迫る脅迫でした。 この状況に強い危機感を覚えたスターリンは原子爆弾の開発を決意します。 しかし、当時ソ連国内ではウラン鉱山が見つかっていなかったため、ウランの産地であった東欧のブルガリアとルーマニアの優越的地位を要求し、アメリカはこれを認めます。 要するに、ソ連は日本利権を手放す代わりに東欧二カ国を手に入れた。 ソ連は大日本帝国時代に幾度も日本と戦い多くは敗退していて(ノモンハンも日本が意図的な侵攻遅延をおこなったために停戦となっただけ)、日本統治は困難であると考えていたようです。 この事実は冷戦終了後に両国が内部文書を公開したことで明らかになった。 英仏などの欧州諸国はすでに植民地放棄の方向に舵を切っており、戦後の痛手もあって遠地の日本に興味を示さなかった。 中国は国民党と共産党との内戦が始まる前夜であり、それぞれアメリカやソ連の援助が不可欠な状況なので文句を言うわけもなかった。

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簡単に言えば、ドイツの西半分を軍事的に占領したのが米英仏、東半分はソ連だからその通り分割統治した。 日本は連合国と言ってもほとんどがアメリカ軍が相手だった。ソ連は北方領土までは占領したが北海道寸前で終わった。 戦争ではそこで戦って勝った者が占領するのが原則です。 家康が秀吉の北条攻めの後、関東に移ったのも北条攻めの主力だったからとも言えます。 ポツダム宣言の受諾を渋っていた日本が8月15日に受諾したのも、遅れればどんどんソ連が占領地を増やす恐れがあったからとも言えます。(ソ連はその後も攻め続けた)。 終戦が遅れていたら、今頃は北海道がロシア領のままだった可能性すらあります。ソ連や中国が相手の戦争だったら社会主義国になってた可能性もあります。(その方が良かったと思う国民が少なからずいますが、冗談じゃありません。日本の戦後は相当悲惨なものになったでしょう。アメリカ相手で幸運だったと思うべきです。)