「大正デモクラシー」という言葉が教科書に出てきたのは
1950年代のことです。1930~40年代の戦争の時代を「悪」
と否定する価値観から、その直前の時代を美化するために
作られた言葉です。
しかし、現実には大正デモクラシーこそが、その後の日本
の破滅的な戦争への道を決定づけてしまった側面があると
も言えます。
大正時代はイメージで良さそうな時代に思いがちですが、
約15年という短期間の間に、インフレと米騒動、シベリア
出兵、スペイン風邪流行、朝鮮併合に伴う貧困朝鮮人流入に
よる社会不安、関東大震災などがあって、庶民的には非常
に苦難の多かった時代です。どこか現代日本と似たところが
あります。当時を生きた人達にとっては暗い時代でした。
そもそもなぜ大正デモクラシーという運動が起こったのか
と言えば、原因は日露戦争にあります。ロシアに勝った
はずの日本が賠償金を取れなかったことで、国民の間で
不満が爆発し、日比谷焼き討ち事件を初め、各地の大都市
で騒擾が頻発して治安が悪化します。
徴兵されて命を賭けて戦ったのに、戦争に勝っても庶民に
は何も良いことがなく、政治への不満が高まったのです。
藩閥政治が続き、自分たちが政治に参加できないから政治
が良くならず、戦争に勝っても賠償金が取れず、自分たち
の暮らしは酷くなるばかりというわけです。そこで藩閥内
閣を打倒して政党内閣制と普通選挙を要求する運動が出て
きます。
更に、第一次世界大戦末期にロシア革命が起こったことで
社会主義運動も活発化します。
しかし、こうした大正デモクラシー運動は結果的に治安
維持法の制定へと繋がり、同時に日本は戦争の道へ進むこと
になってしまいます。
大正デモクラシーの原動力は戦勝賠償金をとれなかった
ことから来る経済的苦難です。この考え方が踏襲され、
軍や一般国民は侵略や戦争によって経済を良くしたいと
いう発想から抜け出すことができず、途中で戦争を止める
ことができず、だらだらと続けた挙げ句、破局に至るのです。
こういう見方をすれば、大正デモクラシーは言われている
ような素晴らしいものではなかったということになります。
ここまで考えた上での発言かどうかは不明ですがか、歴史
は一面的な見方ではなく、多面的な見方をする必要があり
ます。イメージだけに基づく固定観念は廃すべきでしょう。