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三四三空が開隊した時にはまだ紫電改の生産が始まったばかりで各航空隊には紫電改が行き届かず、代わりに紫電とゼロ戦が割り当てられました。三四三空に所属する戦闘三〇一航空隊の編成は紫電11型12機、紫電改1機、零式練戦1機、中等練習機1機、機上作業訓練機1機でした。開隊翌月から訓練を始めると事故の続出で一か月で紫電15機、紫電改3機、その次の月にも紫電10機、紫電改2機が事故で失われました。横須賀航空隊から戦闘七〇一空に転属したエースパイロットの坂井三郎氏はこの頃の三四三空を「残骸の山」と評しています。 しかし三四三空はこれでもまだマシな方で、徳山の戦闘二一〇航空隊では訓練を開始した1月に13機、二月に5機、三月に10機、四月に16機の紫電を事故で失い、戦闘を経験する前に訓練で部隊がほぼ壊滅状態でした。
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